Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 新田開発

  ○ 移住と開発の奨励(伊奈忠治)
  ○ 新田開発者
    ・芦川内匠   「内匠新田」
    ・星野彦六   「久左衛門新田」「辰沼新田」
    ・佐野新蔵胤信 「佐野新田」
    ・渡辺小衛門常頓「小右衛門新田」
    ・平田利兵衛  「二ツ家新田」
    ・次郎左衛門  「槐新田」(次郎左衛門新田)
    ・栗原村飛地  「栗原新田」
    ・伊藤嘉兵衛  「嘉兵衛新田」
    ・浅野久右衛門 「上谷中新田」
    ・吉野長左衛門 「下谷中新田」
    ・金子五兵衛  「五兵衛新田」
    ・河合平内   「大谷田新田」「普賢寺・北三谷新田」「六木新田」「千住榎木新田」
    ・蒲原村    「蒲原新田」
    ・浅田長右衛門 「長右衛門新田」
    ・京極弥五郎  「弥五郎新田」
    ・吉田四郎兵衛 「伊藤谷新田」
    ・石出掃部介吉胤「掃部新田」
  ○ 八か村落し堀
  ○ 米穀の流通
  ○ 下肥の利用
 
 その他 別頁

  ○ 鈴木新田(羽田)
  ○ 砂村新田(砂村)
  ○ 利田新田(東品川)
  ○ 深川村
  ○ 本所開発
 
 伊奈氏ゆかりの地


移住と開発の奨励(伊奈忠治)

 代官伊奈忠治は、移住と新田開発を勧め、新田開発者に忠治は5か条の開発定書を交付しました。
 新田には、開発した人物の名前が付けられる例が多く見られます。

    

「普賢寺北三谷新田宛伊奈忠治開発定書」(慶長19(1614)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化財
 宛所の「川井平内」は開発人、河合平内です。

  

「大谷田新田宛伊奈忠治開発定書」(元和2(1616)年 足立区立郷土博物館所蔵) 足立区文化財
 宛所の「平内」は開発人、河合平内です。

  

「伊奈忠治印判状写(河合平内宛)」(元和5(1619)年 足立区立郷土博物館所蔵)

 新田開発人の河合平内に対し、新田開発をすすめたことについて「御忠節」と位置づけ、
 「御褒美」として田畑屋敷地2町歩を与えるとしています。

  

「江戸時代はじめの新田開発関係図」(足立区立郷土博物館所蔵)
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新田開発者】

芦川内匠

<内匠新田>

 武田氏の家臣だった芦川内匠が土着し、新田開発に従事しました。

  

(関連)
 ・内匠本町
 ・七面神社(芦川家氏神)
 ・内匠橋(芦川内匠に由来)


星野彦六

<久左衛門新田>

 福島正則の家臣星野又太郎(彦六)が、この地を開発して「土合村」とし、子の久左衛門の時に「久左衛門新田」と呼ばれるようになりました。
 明治22(1889)年に久左衛門新田は周辺の村と合併し、花畑村となります。

  

(関連)
 ・南蔵院
 ・神明天祖神社
 ・東稲荷神社
 ・赤稲荷神社

<辰沼新田>

 星野彦六が開発し、久左衛門新田に含まれていましたが、元禄8(1695)年に分村、独立したと伝えます。

  

(関連)
 ・辰沼稲荷神社(辰沼新田鎮守社)
 ・龍岩寺


佐野新蔵胤信

<佐野新田>

 千葉勝胤の子、新蔵胤信が佐野氏の養子となり(佐野家の伝承)、
 佐野家は、佐野新田の開発者であるとともに、関東郡代伊那氏に仕えました。

  

(関連)
 ・佐野いこいの森(佐野家屋敷森)
 ・佐野新蔵胤信の墓
 ・妙見社(千葉稲荷)
 ・柳野稲荷神社


渡辺小衛門常頓

<小右衛門新田>

 岩槻城主の家臣であった渡辺小右衛門常頓が小右衛門新田を開発しました。

  

(関連)
 ・小右衛門稲荷神社(渡辺小右衛門由来)
 ・渡辺小右衛門の墓
 ・槐戸地蔵尊
 ・庚申堂


平田利兵衛

<二ツ家新田>

 二ツ家新田は、織田家旧臣の平田利兵衛、若菜の両家が開発、家が二軒しかなかったことが地名の由来です。

  

(関連)
 ・増福寺
 ・二ツ家愛宕神社


次郎左衛門

<槐新田>

 槐新田(次郎左衛門新田)は、次郎左衛門等の村人が開いたと言われています。

  

(関連)
 ・四ツ家稲荷神社


栗原村飛地

<栗原新田>

 当地は綾瀬川沿いにある栗原村の飛地で、
 栗原村の人々の新田開発により栗原新田と唱えられていました。

(関連)
 ・一ツ家稲荷神社(栗原新田鎮守社)
 ・東栗原土地区画整理記念碑


伊藤嘉兵衛

<嘉兵衛新田>

 武蔵国橘樹郡稲毛領(現・神奈川県川崎市北部)に居住していた伊藤嘉兵衛が、
 当地に移住し嘉兵衛新田を開発しました。
 寛永年間(1624〜1644)に内匠新田から小菅の古隅田川まで新川(新綾瀬川)が開削されました。
 このため、嘉兵衛新田は、東西に分断されました。

  

(関連)
 ・伊藤嘉兵衛の墓(神宮寺墓地)
 ・加平天祖神社(東の嘉兵衛新田)
 ・西加平神社(西の嘉兵衛新田)


浅野久右衛門/吉野長左衛門

<谷中新田>

 谷中新田は、浅野久右衛門が開墾した「久右衛門新田」と、吉野長左衛門が開発した「長左衛門新田」の通称です。
 一般的には久右衛門新田を「上谷中新田」、長左衛門新田を「下谷中新田」と呼びました。

  

(上谷中新田関連)
 ・浅野家墓所(法立寺)
 ・浅野家長屋門(足立区都市農業公園)
(下谷中新田関連)
 ・下谷中稲荷神社(鎮守)


金子五兵衛

<五兵衛新田>

 武蔵国入間郡金子村(現埼玉県入間市)から入植した金子五兵衛が五兵衛新田を開発しました。

  

(関連)
 ・綾瀬稲荷神社(五兵衛新田の鎮守社)
 ・稲荷山蓮華院観音寺(金子五兵衛の開基)
 ・金子五兵衛の墓


河合平内

 河合平内は、
 ・大谷田新田(足立区大谷田・中川)
 ・普賢寺・北三谷新田(足立区東和・綾瀬・東綾瀬)
 ・六木新田(足立区六木)
 ・千住榎木新田(位地未詳)を開発しました。
 外からの移住者が中心であった新田開発人の中で、珍しく室町時代辺りからこの地にいた一族のようです。

  

<六木新田/大谷田新田>

 六木は、天正の末期(1590年)ごろに、織田信長の次子・織田信雄に仕えた天野国忠など、
 六騎の武者によって開拓され「六騎村」と呼ばれ、「六木村」となり、現在に至ります。

  

(関連)
 ・大光寺(天野国忠が開基)
 ・六木諏訪神社(鎮守社)

<普賢寺新田/北三谷新田>

 河合平内は北三谷新田の名主でした。墓が北三谷新田の円性寺にあります。
 北三谷の地名の由来には、梅若丸の母親の従者が浅草山谷の地に住んだが安住の地を求めて隅田川を北上し、
 この地を開いて北三谷と名付けたという伝説があります。

  

(関連)
 ・河合平内の墓(円性寺)
 ・北三谷稲荷神社(北三谷新田旧村社)
  ・梅若丸と北三谷(北三谷の地名由来)
 ・綾瀬北野神社(普賢寺新田の鎮守)
 ・大谷田氷川神社(大谷田新田の浪人氷川)


蒲原村(かばらむら)

 新田開発に伴い新しく作られた村とは異なり、
 古隅田川の北に添った蒲原村は古い駅路の宿だったと言われています。
 在原業平が都鳥の歌を詠んだのは、この辺りではないか、また源頼朝が宿陣したとの伝えがあります。

<蒲原新田>

  

(関連)
 ・蒲原村宿駅伝説


浅田長右衛門

<長右衛門新田>

 浅田長右衛門が開発したのが長右衛門新田です。
 浅田長右衛門は永禄6(1563)年、武蔵国埼玉郡与野村に生まれ岩槻城主の高力清長に仕えましたが、
 慶長の初めごろにこの地に移り住んだと伝わります。

  

(関連)
 ・西光院(浅田長右衛門開基)
 ・浅田長右衛門の墓


京極弥五郎

<弥五郎新田>

 弥五郎新田は、京極弥五郎(武蔵千葉氏の家臣)による開発です。

  

(関連)
 ・西之宮稲荷神社(弥五郎新田の総鎮守)
 ・日ノ出神社(荒川底に沈んだ稲荷神社起源)


吉田四郎兵衛

<伊藤谷新田>

 吉田四郎兵衛の開発による伊藤谷新田です。

  

(関連)
 ・綾瀬神社(伊藤谷新田の鎮守社)
 ・伊藤谷橋/伊藤谷支柱


石出掃部介吉胤

<掃部新田>

 石出掃部介吉胤の開発による掃部新田です。

  

(関連)
 ・掃部宿
 ・掃部宿プチテラス
 ・仲町の家(石出掃部介吉胤の子孫)
 ・源長寺(石出一族菩提寺)
 ・石出掃部亮吉胤の墓(源長寺)
 ・掃部堤
 ・千住大橋(石出掃部介吉胤の架橋)


八か村落し堀

 「八か村落し堀」は、江戸時代初期に足立区東部の新田地帯の悪水の排除のため開削されました。
 葛西用水に源を発し、六木から大谷田、東和を通り、綾瀬に入り、古隅田川及び綾瀬川へ流れる水路でした。
 名前の由来となった「八か村」とは、明治22年の町村制実施まで続いていた八つの村を指し、
 水路がこの地域を経由していた事から「八ヶ村落し堀」と呼ばれていました。

  ※「八か村」
   六木(むつき)、佐野新田(さのしんでん)、大谷田(おおやた)、蒲原(かばら)、
   北三谷(きたさんや)、普賢寺(ふげんじ)、五兵衛新田(ごへいしんでん)、伊藤谷(いとや)

(関連)
 ・八か村落し親水緑道

  


米穀の流通

 米穀の流通には綾瀬川の舟運が主に利用されたことが伺えます。

  


下肥の利用

 (下肥についてはこちらで記載

  

<コエタンゴ(肥桶)/コエビシャク>

 肥桶は天秤棒で担いで運びます。重さは一荷で80キロほどになります。
 肥桶には蓋がついていますね、明治維新後、肥桶に蓋をすることが義務付けられました。

     

<汲み取りのシステム>

 汚わい船、人力による下肥の輸送経路です。

  

<肥溜め>

 肥溜めのシステムです。

  


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