珍しい石祠型庚申塔(足立区文化財)が二基あります。
<北野神社由緒沿革>
<普賢寺新田の鎮守>
北野神社は、河合平内が開発した普賢寺新田の鎮守でした。
<力石>
力石が四基並んでいます。
<撫牛>
つるつるの撫牛がいます。
<稲荷社>
<石祠型庚申塔> 足立区文化財
左が元禄13(1700)年、右が元禄8(1695)年銘の石祠型庚申塔です。
木板は右の庚申塔を説明しています。
(説明板)
「石祠型(せきじがた)庚申塔
庚申塔は庚申信仰をする庚中諜の人々によって造立された塔である。
庚申とは、十千の庚と十二支の申とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
庚申の日には、人間の体内にいる三戸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。庚申塔の形態、様式は多様であり、形態は一般に笠付型、駒型、舟型などいくつかに分類することができる。
この庚申塔は石祀型といわれ、社殿の形を模したものである。右は元禄八年(一六九五)、左は同十三年(一七○○)の造立で、それぞれ「奉造立石之宮殿第六天村中庚申供養」、「庚申供養奉造立石宝殿一宇二世安薬処」とある。石祀型庚申塔は東京都内では類例を見ない珍しいものである。
昭和六十二年十一月、足立区有形民俗文化財に登録された。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」
<社殿>