<小右衛門町>
バス停に「小右衛門町」の名前が残っています。
<新田開発と小右衛門新田>
足立区立郷土博物館の展示パネルより、小右衛門新田部分の抜粋です。
岩槻城主の家臣であった渡辺小右衛門常頓が小右衛門新田を開発しました。
<小右衛門稲荷神社 社号標/一之鳥居>
参道の突き当りにお堂と小右衛門町墓地があります。
墓地に渡辺小右衛門の墓があります。どの墓石なのかわかりませんでした。
<二之鳥居>
二之鳥居の先に社殿があります。参道の石畳の一部は、途中で社務所に向かい、社務所の前から社殿へと続きます。
これが北斗七星の柄杓の杓に見える参道の石畳です。
<手水舎>
<燈籠>
文久2(1862)年銘の石燈籠には、龍が巻きついています。
<忠魂碑>
大正12(1923)年3月建立の日露戦役の忠魂碑です。
「忠魂碑 侯爵西郷従徳書」
西郷従徳は、西郷隆盛の甥にあたります。
<頌徳碑>
<神狐>
<社殿>
<掲示>
「足立の七つ星」
「武州足立郡淵江領新田村小右衛門稲荷大明神縁起」
新田開発の主長・渡部小右衛門常頓は、岩槻の城主に仕えていた武士でしたが、事情があり同僚の高橋伴右衛門を討ち、ひそかに城下を出て、足立郡嶋根に蟄居していました。ある夜霊夢を見ました。高橋伴右衛門の子が父親の敵を探していると神女が告げました。小右衛門は夢から覚めると一匹の白狐がいましたが一声鳴いたと思ったら姿を消していました。小右衛門はお告げに従って翌日に嶋根の東へ屋敷を移し、小右衛門を探しに来た高橋文次郎を返り討ちにしました。元和二(1616)年のことでした。小右衛門は、この地を開発して、新田村と呼ぶことになりました。
社殿の右手奥に富士塚と池があります。
合目石がありますが、一歩で一合登って10歩で山頂に到着です。