Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 足立区神明

  ○ 南蔵院
  ○ 神明天祖神社
  ○ 東稲荷神社


南蔵院 足立区神明3-18-18

 「安養山 南蔵院 瓔珞寺」と号します。
 西新井組中川通四箇領八十八箇所第6番札所、荒綾八十八ヶ所霊場第28番札所です。
 久左衛門新田を開発した星野彦六の墓があるはずですが、星野家の墓が多く古い墓石も多くわかりません。

<寺号標/札所碑>

 流山道に面して参道入口、寺号標「安慶山 南蔵院」があります。
 右手に札所碑が二基と馬頭観世音碑が二基あります。

    

<新四国札所碑>

 天保12(1941)年銘の札所碑です。
 (正面) 「新四國八十八箇所 第六番  南蔵院」
 (左側面) 紀年が刻まれています。
 (右側面)「是ヨリ七番エ九丁」
 7番札所は大光寺(足立区六木)です。

    

<馬頭観世音>

 続いて「馬頭観世音」碑が二基並んでいます。

   

<荒綾札所碑>

 一番右の荒綾八十八ヶ所霊場の札所碑です。大正15(1926)年の造立です。
 (正面右) 「久左衛門新田」
 (正面中央)「荒綾八十八ヶ所第二十八番南蔵院」
 (正面左) 「是ヨリ浮塚大仙寺へ六丁」
 八潮市浮塚の大仙寺は14番です。

   

<山門>

 山門には「真言宗智山派 南蔵院」
 山門前右手に自然石の庚申塔があります。

    

<六地蔵>

 参道を進むと、右手に六地蔵。

   

 中央の地蔵尊(寛延元(1748)年銘)は、地蔵尊を主尊とする庚申塔です。

  

 右端の二基(両基とも正徳3(1713)年銘)は、地蔵尊を主尊とする庚申塔です。
 右の二基の背中には「奉供養庚申待 二世安樂攸」とあります。

   

 弘法大師霊場ですから弘法大師像もおられます。しかし、顔が弘法大師ではなく地蔵に見えます。

  

<弘法大師修行像/弘法大師一千百年遠忌供養塔/弘法大師一千年塔>

 参道左手に「弘法大師修行像」、その右に「弘法大師一千百年遠忌供養塔」と「弘法大師一千年塔」。

   

<一休像>

 続いてなぜか「一休像」(と思います)。

  

<平成の鐘>

    

 プレート文には星野氏による当地開拓の歴史が刻まれています。

(プレート文)
「平成の鐘建立紀念誌
 慶長十五年(一六一○)名主星野彦六の先祖星野又太郎は、福島正則の家臣で、本郡笹目村より当地に来り開墾せし所を土合村(現在の神明町、辰沼町)と命名する。菩提寺として南蔵院を開創し、寛永七年(一六三○)逝去。二代目星野久左衛門の願いにより正保年間(一六四四)に久左衛門新田及び辰沼新田と改む。江戸より三里にあり、東西十二町(一三○八米)南北二十町(二一八○米)の持分であった。以来十六代「彦六」を名乗り代々名主を務め徳川の末期まで続いた。又、星野家三代彦六が氏神に天祖神社を奉斎せり。所有せし農地は廣大にして、小溜井は元の綾瀬川であり、八代将軍吉宗の綾瀬川改修後は大名松平陸奥守の命により、名主彦六所有となり貯水用水として使用、浮塚側堤防幅六尺の道路までを彦六見廻り道と称されて淵江領八ヶ村の水源となる。(内務省刊行『新編武蔵風土記』より)
(以下略)」

   

<慈母観音>

 昭和54(1979)年の建立です。

  

<本堂>

   

<くすのき>

(説明板)
「足立区指定第285号
 保存樹木 くすのき
 当院が創建された時に、その記念として植樹されたと言い伝えられているクスノキで幹回り320cm・樹高24mあります。指定樹木は他にケヤき2本とエノキ1本、それ以外にも約35種類95本の木々が植えられています。」

   

【墓地】

 久左衛門新田を開発した星野彦六の墓と伝えられる寛永7(1630)年の墓碑があるはずですが、
 これかと思ったものの宝暦10(1760)年銘でした。
 星野家の墓が多くあり、古い墓石も多く、見つけられません。

    

 星野家の墓域が多いです。

   

<庚申塔>

 墓地に三基の石仏が並んでおり、左端は寛文7(1667)年銘の庚申塔です。
 中央「奉造立庚申供養〜」と刻まれています。

     


神明天祖神社 足立区神明3-19-19

 寛永7(1630)年に足立郡笹目村(現在の埼玉県戸田市)から移住して、この地を開発した「星野又三郎」の子孫である
 星野彦六により、開発の成功を記念して創建されたと伝えられています。
 「神明社」と称して久左衛門新田の鎮守社でした。明治に入り「天祖神社」に改称しています。

<社号標/参道>

 流山道に面して参道入口、社号標「天祖神社」。
 一之鳥居をくぐると松の木が並ぶ参道が続きます。
 二之鳥居、三之鳥居と続きます。

    

<石燈籠>

 東日本大震災により損壊した灯籠再興。

    

<火の見櫓>

 境内左手、消防団の倉庫の横に火の見櫓と半鐘があります。

   

<掲揚台>

 境内右手に掲揚台。

 (表)「國威発揚
     陸軍大将林銑十郎書」
 (裏)「昭和十七年十一月神明町會建之」

    

 林銑十郎肖像(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
  明治9(1876)年2月23日〜昭和18(1943)年2月4日

  

<狛犬>

 天保7(1836)年銘の狛犬です。

    

【石碑】

  

<春夏秋冬>

 一番左の嘉永6年銘の石碑です。

   

<日露戦役従軍紀念碑>

 中央の日露戦役碑です。

(表)「日露戦役従軍紀念碑」
   「関根柳介書」
(裏)「明治四十年十月建」

   

<寄附連名碑>

 一番右は「紀年碑寄附連名」碑です。

  

<歌碑>

 三基の石碑の後ろにある歌碑です。
 歌人戸野部春子の奉献。

   

<煉瓦石台>

 何を載せていたのか不詳ですが、煉瓦石台です。
 石の台石には天保2(1831)年の銘があります。

    

 境内には煉瓦石が転がっています。
 かつて八潮に煉瓦工場があり、煉瓦が多く用いられたことが想像できます。

  

<拝殿/本殿>

 本殿はガラス張りで保護されており、天保年間(1830〜1844年)の建築と伝えられています。

     

<けやき>

(説明板)
「足立区指定第287・288・289・482・635号
 保存樹木 けやき
 昔「天祖神社」の樹木のほとんどは、ケカキで構成され、このうちの5本が足立区の保存樹木に指定されています。樹齢は定かではありませんが、神社と地域のシンボル
としてこの鎮守の社を今後も見守っていただきたいと思います。」

   

<稲荷社/北野社>

 左が「稲荷社」、右が「北野社」です。

    

<三峰神社>

    

<石燈籠>

 花畑運河の開削を記念して昭和6(1931)年に奉納。
 「奉納 昭和六年十二月運河記念」と刻まれています。
 奉納者はなぜか鳥取市の方です。

    

<手水鉢>

 明和元(1764)年銘の手水鉢です。

  

<不詳の石祠>

  

<力石>

 力石らしきものが点在しています。

        参道右手                境内左手               境内右手
    


東稲荷神社 足立区神明3-30-6

 内匠橋東詰の金子屋の屋敷にあった稲荷社を当地へ遷座したといいます。

     

<手水鉢>

 明治18(1885)年に奉納の手水鉢です。

  

<大東京併合記念>

 昭和8(1933)年の大東京合併記念に鳥居や灯篭が奉納された記念の石碑です。
 左横には、畑二畝二二歩が奉納されたことが刻まれた石碑が建っています。

  


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