【加平】
○ 加平天祖神社 本頁
○ 円泉寺
○ 伊藤嘉兵衛の墓
○ えぼ地蔵
【西加平】
○ 西加平神社
武蔵国橘樹郡稲毛領(現・神奈川県川崎市北部)に居住していた伊藤嘉兵衛が、
当地に移住し嘉兵衛新田を開発しました。
寛永年間(1624〜1644)には、内匠新田から小菅の古隅田川まで新川(新綾瀬川)が開削されました。
このため、嘉兵衛新田は、東西に分断されました。
嘉兵衛新田を開発した伊藤嘉兵衛氏の屋敷神であった神明宮を、嘉兵衛新田村の鎮守として慶長15(1610)年に祀るようになりました。
明治2(1860)年に称号を神明宮から天祖神社に改めました。
昭和29(1954)年に旧嘉兵衛新田の綾瀬川以西の氏子は、西加平の稲荷神社の氏子として分離・独立しました。
昭和42(1967)年、区画整理により、社殿・拝殿を旧地(加平2-16)から現在地に曳社移転しました。
<社号標/鳥居>
<手水舎>
寛政8(1796)年奉納の盥漱石が脇にあります。
<由緒>
手水舎の奥に由緒の説明板が建っています。
(由緒)
「安土桃山時代後期文禄年間(一五九二〜一五九五)に伊藤氏の遠祖伊藤嘉兵衛が神奈川県稲毛領より白馬に跨り神明宮のご神体を奉持しこの地に着き、荒無地であったこの辺りの一帯の新田開発に尽力、その功により「やむら」といわれていた地を「嘉兵衛新田」と呼ぶようになり昭和七年(一九三二)迄正式地名として続いた。
伊藤氏の屋敷神であった神明宮をこの村の鎮守様として旧嘉兵衛新田字菖蒲沼耕地五五三番地に創建し、昭和四二年十一月区画整理事業により現在地に遷宮した。
社殿は弘化二年(一八四五)造営、屋根は遷宮時に萱葺から銅板葺から瓦葺と葺き替えられた。
当所称号を神明宮とお呼びしていたが、明治二年維新により神仏分離に対する政策変更を機に天祖神社と改めた。
摂社として稲荷神社(西加平一丁目)が有ったが昭和二九年宗教法人法の施行により、西加平神社と改称分離独立した。
五穀豊穣、無病息災、家内安全等々を祈願する住民の厚い信仰心に支えられている。
天祖神社氏子会」
<境内>
<石燈籠>
寛政10(1798)年奉納の石燈籠です。
<狛犬>
昭和44(1969)年に太平べニヤ株式会社が奉納。
<掲揚台>
「國威宣揚」
「昭和十三年一月建之
東加平町 青年團 在郷軍人」
<天祖神社移転紀念碑>
昭和42(1967)年の区画整理による移転の記念碑でじょう。
<社殿>
社殿は昭和42(1967)年の改築です。
<笠間稲荷社>
「笠間稲荷大明神」の幟奉納。
<三峯社>
三峯社です。左手に「三峯神社改築紀念碑」。さらに左手に石祠二基があります。