○ 源森川水門
○ 枕橋(当初の源森橋)
○ 枕橋からの夜景
○ 東京ミズマチ
○ 源森橋
○ 小梅橋
○ 平和地蔵尊
○ 法性寺
○ 龍眼寺
○ 江東天祖神社
○ 祐天堂/やくしみち道標
○ 梅屋敷跡
○ 亀戸香取神社
○ 小村井香取神社(香梅園)
○ 吾嬬神社
○ 東覚寺
○ 常光寺
○ 北十間川と旧中川
江戸時代は大横川の分流点より西を源森川、東を北十間川といいました。
万治2(1659)年から本所の開発が始められ、竪川、源森川(別名:源兵衛堀)などの掘割が開削されました。
1662(寛文2)年には関東郡代であった伊奈半十郎により、源森川隅田川口に源森橋(源兵衛橋)が架けられました。
北十間川は主に農業用水のため1663(寛文3)年に開削されました。
当初両川は繋がっていましたが、隅田川増水時の洪水被害のため、1672(寛文12)年に洪水を大横川に流す堤が築かれ、両川は分断されました。
1885(明治18)年に、源森川と北十間川は再び接続されています。
「江戸切絵図」
本所絵図と隅田川向嶋絵図から、源森川・北十間川部分の抜粋です。
本所絵図
隅田川向嶋絵図(北を上に回転しています)
「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)
「安政改正御江戸大絵図」の源森川・北十間川が描かれている部分の抜粋です。