Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 源森川・北十間川

  ○ 東覚寺
 


○東覚寺 江東区亀戸4-24-1

 江戸時代は、大山寺本尊と同木同作といわれる不動尊を不動堂に祀り、亀戸不動として信仰をあつめました。
 明治に覚王寺と合併し、現在の主尊は大日如来となっています。荒川辺八十八ヶ所霊場第75番札所です。

  

「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)

 「トウカクジ」の文字が見えます。

  

(説明板)
「東覚寺(弁財天)
 東覚寺は享禄4年(1531)玄覚法印の創建と伝えられています。明治34(1901)年覚王寺を合併しました。覚王寺は江東区猿江2-15付近にあり、府内88ヶ所霊場第73番札
所で、それを示す碑が東覚寺に残されています。
 当時の不動明王は、東大寺別当良弁(689〜773)の作で、大山寺(神奈川県)本尊と同木同作といわれ、江戸時代より亀戸不動として信仰をあつめてきました。
 亀戸七福神のひとつ(弁財天)として親しまれています。」

  

<不動明王標柱>

 門前に天保11(1840)年銘の破損が激しい「不動明王標柱」が建っています。道標を兼ねています。
 西へ一丁の場所からの移設でしょうね。

 (正面上部)「不動明王」
 (正面右端)「大山同木同作 右へ一丁」
 (正面下部)「右 …分/右 …/左 く…」

     

<弁天堂>

 境内の右側に「弁天堂」があります。

   

<是心軒一露居士碑> 江東区文化財

 明治32年銘の「是心軒一露居士碑」です。隣に「是心軒一門之碑」が建っています。

    

<宝篋印塔> 江東区文化財

 本堂前の「宝篋印塔」です。

   

奉献石燈籠> 江東区文化財

 客殿前に延宝9(1681)年銘の厳有院殿尊前奉献石燈籠(寛永寺)があります。
 厳有院は第四代将軍家綱です。

 「奉拝進 石燈籠」
 「嚴有院殿 尊前」
 「延寶九辛酉歳五月八日 飛騨國主金森万助源頼時」

    

<本堂>

    

<覚王寺札所碑> 江東区文化財

 墓地に江東区文化財の「覚王寺札所碑」があります(と思う)。
 破損激しい石碑で「□□三番」「讃岐国出釈迦寺移」などの文字があります。
 合併した覚王寺の猿江に置かれていた御府内八十八箇所七十三番札所碑だと判断しました。
 読み取れませんでしたが、道標を兼ねているようです。

   

<三猿の庚申塔> 江東区文化財

 墓地通路正面にある基壇上の銅製宝塔の右手前に三猿の庚申塔がありました。
 三猿がピラミッド型に配されています。

    


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