Discover 江戸旧蹟を歩く

 源森川・北十間川

  ○ 小村井香取神社(香梅園)
 



○小村井香取神社(香梅園) 墨田区文花2-5-8 HP

 香取神社の東側に、江戸時代から明治43年の洪水で廃止となるまで、小村井梅園があり、江戸近郊の梅の名所でした。
 毎年梅花の盛りには将軍家の御成りがあり、御成り梅の名も残っていました。

「絵本江戸土産 小村井梅園」(広重)

 広重は小村井梅園を描いています。

  
 

「江戸切絵図」

 「香取社」の東に「梅屋敷」が記載されています。
 「梅屋敷 名主小山孫左衛門 年毎御成有」とあります。

  
 

「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)

 香取神社部分の抜粋です。「香取」とあります。

  
 

<香梅園>

「小村井梅園の由来
 小村井梅園は江戸時代に作られ、当時の名所案内にも数多く紹介された江戸近郊の梅の名所です。
 香取神社の東側に位置し、小村井村字出戸五百十一番に三千三百坪の広さを持ち、切絵図には「梅屋敷 名主小山孫左衛門 年毎御成有」と記され、毎年梅花の盛りには将軍家の御成りがあり、御成り梅の名も残っていました。紅梅白梅と姿良く、また老樹も多く大きな実も獲れました。
 園内には、築山や池に多くの名石が組まれ、東西に亙り松の大木が二列に並び立ち、鴨・鷺など多くの鳥が飛び交い、利根川の魚を畜った釣堀もあり、花菖蒲に秋の七草と、多くの人で賑わいました。安藤広重の「絵本江戸土産」の錦絵には「小村井は亀戸より四、五町巽の方に在り此の所に香取の社あり その傍梅園ありて満開の節は薫風馥郁として行人の鼻を穿つ 実に新古の梅屋敷にも倍したる勝景・・・・・・」 と記されています。惜しくも明治四十三年の大水で廃園となりました。面影を忍び、此處にその由来を記して記念とします。
  平成二年九月吉日 平成二年度 世話人」

    
 

<参道>

 社号標には「大日本武将祖神」と刻まれています。

    

  
 

<東参道>

   
 

<西参道>

  
 

<三碑>

 「日露戦役紀念碑 子爵榎本武揚書(明治40年)」「香取神社御鎮座八百年祭記念碑」「御神木奉納記念碑」が並んでいます。

   
 

<神楽殿>

  
 

<手水舎/狛犬>

    
 

<天水桶>

 大正12(1923)年「埼玉縣川口町 山崎寅蔵善未作」の天水桶です。

     
 

<拝殿/本殿>
  
     
 

【境内社】

<諏訪神社>

  
 

<禊盥(けいかん)> 墨田区文化財

 文政11(1828)年銘の手水鉢です。

   

(説明板)

「墨田区登録文化財
 禊盤(手水鉢)  所在地 墨田区文花二丁目五番八号 香取神社内
 手水鉢は神仏を礼拝するにあたって、参拝者が手を洗い、口をすすぐための器であり、その行為のことを「手水を使う」ともいいます。この習慣は古代から行われていた「斎戒沐浴」の名残で、水で心身の罪や穢れを清める、「禊」を簡略化したものと考えられます。
 そのために本堂や社殿の前には必ず水を満たした盥や「手水桶」、「手水鉢」などが常備されています。
 現在、香取神社境内の諏訪社前にある手水鉢が「禊盥」と刻まれていることは、江戸時代後期の篤信者たちがただ単に手を洗うだけではなく、こうした禊の習慣をよく理解したうえで神前に奉納している貴重な例といえます。
 この禊盥の右側面には「文政十一年(一八二八)戌子六月吉祥日」、左側面には「星塢奏鐘書」、裏面には「氏子中」と能筆で刻まれています。
 かつては本殿前に据えられていたものです。
  平成二十年三月  墨田区教育委員会」

  
 

<三峯神社>

  
 

<四社>

 左から「天祖神社」「水神社」「稲荷神社」「北野神社」が鎮座しています。

   


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