○ 北十間川と旧中川
○ 旧中川のかさ上げ護岸(旧堤防)
北十間川の旧中川への合流地点です。北十間川は荒川水系なので、ここが整理上は上流となります。
旧中川には新江東橋が架かっています。
この辺りは地盤沈下が激しかった地域で、現在は川の水位を下げて管理しています。
雨が降ると排水機場からポンプで中川へ排水します。
以前の堤防のかさ上げの歴史を伝える堤防が残されています。
東京湾満潮時より3.1m低く管理されおり、小名木川では東西で最大3mの水位差が発生しています。
保存されている護岸と、掲示されている写真から、以前はもっと川の水位が高く、川幅も今よりはるかに広かったことがわかります。
<旧中川「かさ上げ護岸」の歴史>
(説明板)
「旧中川「かさ上げ護岸」の歴史
旧中川が流れるこの地域は、乱流する荒川(現隅田川)や中川、利根川(現江戸川)の河口部に堆積した三角州を埋め立て、江戸の市街地として発達してきたことからもともと低地であり、過去幾度となく高潮や洪水の被害を受けてきました。更に明治末期からの工業地帯としての発展に伴う地下水の過剰なくみ上げにより地盤沈下が進行し、現在の荒川と隅田川に囲まれた江東三角地帯は、東京湾の満潮水位以下となってしまいゼロメートル地帯とも呼ばれております。地盤沈下を防止・軽減するため、地下水揚水規制や水溶性天然ガスの採取停止などを実施した結果、昭和四十八年頃から沈下は急速に減少し、現在ほぼ停止しております。
地盤沈下が続いた町を水害から守るため、旧中川を始めとする江東内部河川(江東三角地帯を流れる河川の総称)の護岸は、かさ上げを余儀なくなれました。しかし護岸は、応急対策としての度重なるかさ上げにより、まちと川が分断されるとともに構造的に脆弱化し、大地震が発生した際の護岸崩壊による水害の危険性が心配されてきました。
東京都はこの地震水害から地域を守るため、昭和四十六年より江東内部河川整備事業に着手し、北十間川樋門及び扇橋閘門より東側を流れる江東内部河川については荒川など周辺河川から締め切り、平常時の水位を周辺地盤より低く保つ「水位低下対策」を平成五年三月に完了させました。
その後、旧中川は水位低下に伴い不要となった「かさ上げ護岸」の上部を切り取り、広い高水敷と緩傾斜堤防を整備し、安全で潤いのある親水空間を創出してまいりました。
ここに残された旧中川のかさ上げ護岸は、緩傾斜堤防の整備が完了したことを記念し、これまで水害から地域を守ってきた「かさ上げ護岸」の歴史を後世に伝えるとともに、低地帯に住む都民の皆様に水害に対する防災意識を継続していただくため、その一部を保存するものであります。
平成二十三年三月 東京都江東治水事務所」
「旧中川 江東新橋下より 1974年」
「旧中川 平井橋付近 1974年」