Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 大久保主水

  ○ 大久保主水(おおくぼもんと)
  ○ 主水河岸(もんとかし)
  ○ 主水井(もんとのゐ)


大久保藤五郎(忠行/初代主水)(不詳〜元和3年7月6日(1617年8月7日))

 大久保藤五郎は徳川家康に仕え、永禄6(1563)年、三河一向一揆に出陣しますが、鉄砲の弾が腰に当たり負傷、歩行が不自由となります。
 槍働きができなくなり、戦役を免除され、菓子司となります。
 菓子に毒を仕込まれることも多く、家康は信頼のおける藤五郎の菓子をたびたび求めました。
 嘉祥の儀(6月16日)(こちらで記載)の成立に深くかかわっています。

 徳川家康に菓子を献上する大久保藤五郎」(東京都水道歴史館掲示)
  

 家康は関東への移封にあたり、藤五郎に江戸城下の上水工事を命じ、小石川上水(神田上水の元)を完成させます。
 この功績により家康は「主水(もんと)」の名を与えました。
 また、歩行が不自由な忠行のため、「山越」と称する馬を与え、乗馬のまま城内を通行できる許可を与えました。

 家康が水源を視察した際の茶会には、藤五郎は三河餅を献上し、
 家康は「宮嶋」という茶釜を藤五郎に与えました。(茶釜は、現在はこちらに所蔵されています。)

 「家康の命を受け、小石川上水を開設した大久保藤五郎はその功労として茶かまと名馬「山越」を賜わった。」(東京都水道歴史館掲示)
  

 「大久保主水墓」(東京都旧跡)は、瑞輪寺(谷中)にあります。こちらで記載


主水河岸 千代田区鍛冶町1-6

 初代大久保主水は、徳川家康より命を受け、後の神田上水の基礎となる小石川上水を整備しました。
 大久保主水の子孫が御用菓子司として暮らし、その名が地名「主水河岸」として残されていた場所です。
 

「江戸名所図会」

 江戸名所図会の本文に「主水河岸」の説明があります。
 「此北詰の西の河岸を主水河岸と字す 御菓子司大久保主水の宅ある故にしか云り
  宅前に井あり主水井と云 昔は御茶の水にもめさせられしとなり」

 江戸名所図会に今川橋が描かれていますが、主水河岸は、雲に隠れています。
 次の挿絵「主水河岸」を該当部分に貼りつけてみました。

  
 

「江戸切絵図」

 龍閑川と土手の間に、「主水川岸」の注記が見えます。

  
 

「日本橋北内神田両国浜町明細絵図」(安政6(1859)

 「新革屋町」と「元乗物町」の間に、「大久保主水」の宅があります。

  
 

<現在の主水河岸跡> 千代田区鍛冶町1丁目6番地

 主水河岸跡は、現在の千代田区鍛冶町1丁目6番地に当ります(朱色着色部分)。
 龍閑川跡が中央区と千代田区の区境となります。

    現地地図加工          東→西              西→東            西→東(泉陽SYビル・山梨中央銀行)     
     
 

○大久保主水ゆかりの地「主水河岸」 千代田区鍛冶町1-6-14 泉陽SYビル

 千代田区の説明板「主水河岸」があります。
 掲示の江戸の地図には「・里俗二主水川岸ト云」とあります。

(掲示)
「まちの記憶
 1590年 天正十八年
 大久保主水ゆかりの地「主水河岸」
 初代大久保主水は、徳川家康より命を受け、後の神田上水の基礎となる江戸における最初の水道、小石川上水を整備した。大久保主水の子孫が御用菓子司として暮らし、その名が地名として残されていた場所である。」

     
 

 泉陽興業株式会社泉陽SYビルに入ると、「創業者 山田三郎像」があり、

  

 江戸時代の今川橋とその近辺の絵図と、神田上水懸樋の切絵が掲げられています。

   
 

 江戸時代の絵図は、「江戸名所図会 今川橋」かと思ったら、
 図会の挿絵では雲に隠れて省略されている大久保主水の屋敷と主水井が描きこまれています。
 完璧な一枚ですね。

  


主水井(もんとのゐ) 千代田区鍛冶町1-6-17

 主水井のあった場所には、鍛冶町一丁目町会によって、説明板「大久保主水の「主水の井」」が建っています。

「江戸名所図会 主水井」

 今川橋北詰から西の主水河岸、新革屋町と元乗物町の間にある御菓子司大久保主水の屋敷前が描かれています。
 挿絵中央の小屋「主水井」は、屋敷側に入口があるのでしょう、通りには入口は見えません。
 一般には開放はせず、もっぱら幕府に献上するお菓子造りに使用していたようです。
 「江戸名所図会」では、「主水井」のほか、「柳の井」、「櫻の井」、「柳の井」(麻布)、「磯の清水」(品川)、「鍋屋の井」(川口)が紹介されています。
 このほか、「名水白木屋の井戸」が有名でした。

  
 

○大久保主水の「主水の井」 千代田区鍛冶町1-6-17

 「主水の井」があった場所に、鍛冶町一丁目町会の説明板が掲示されています。
 シャッター絵に「主水井(もんとのゐ)」が描かれています。

(説明板)
「大久保主水の「主水の井」
 シャッターの絵は、江戸名所図会の「主水の井」を田中憲治氏がアレンジして描いたものです。このビル周辺は、江戸時代初期に大久保彦左衛門の叔父にあたる大久保主水が屋敷を構えていたところで、当時その邸内に名水の井戸の一つとして有名だった「主水の井」という井戸があり、江戸名所図会に描かれています。
 三河で徳川家康の家臣だった大久保藤五郎(主水)は、家康の江戸入府前に飲料水を確保するよう命ぜられ、神田上水の前身である小石川用水を開設し、その功労を讃えられ「主水」という名を家康より拝領されたとされています。また主水は菓子作りを得意としており、家康に献上して以来、家康は主水の菓子しか召し上がらなかったといわれています。
  鍛冶町一丁目町会」

    


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