「久保田万太郎肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」)
明治22(1889)年11月7日〜昭和38(1963)年5月6日
○ 句碑「ふるさとの月のつゆけき仰ぎけり」 (久保田万太郎生誕の地)
○ 句碑「神輿まつまのどぜう汁すゝりけり」 (駒形どぜう)
○ 句碑「竹馬やいろはにほへとちりちりに」 (浅草神社)
○ 句碑「浅草の茶の木ばたけの雪解かな」 (浅草新奥山)
○ 幇間塚碑「またの名のたぬきづか春深きかな」(浅草寺鎮護堂)
○ 句碑「天狗坂夕木枯のおもいでに」 (待乳山聖天天狗坂)
○ 句碑「この里におぼろふたたび濃きならん」(吉原神社)
○ 句碑「しぐるゝや大講堂の赤れんが」 (慶應義塾大学)
○ 泉鏡華筆塚(久保田万太郎らが建立) (湯島天満宮)
○ 日本橋魚市場発祥の地記念碑(撰文) (日本橋魚市場跡)
○ 長命寺桜餅
「船つけて買ひにあがるや桜餅」
「桜もち籠を流せば鴎かな」
「とりわくるときの香もこそ桜餅」
「葉の濡れてゐるいとしさや桜餅」
「桜餅うき世にみれんあればかな」
雷門通りに面した角地に「久保田万太郎生誕の地」碑があります。
昭和52(1977)年8月、地元有志にて建立されました。題字は、内山栄一台東区長です。
(碑文)
「久保田万太郎生誕の地
ふるさとの 月のつゆけさ 仰ぎけり
久保田万太郎は明治二十二年十一月七日此地に生まれ 市立浅草尋常小学校へ入学 府立三中に学び大正三年慶應義塾大学文科を卒業し 十月月移転する迄の二十六年間在住した
昭和三十八年五月六日永眠するまでの明治 大正 昭和の三代に亘り 常に下町の義理と人情を描写した小説 戯曲の作品多く 其他文学 演劇界に多大の功績を残した作家であった 此の生誕の地に有志相はかり句碑を建立して永遠に久保田文学を讃えたい
昭和五十二年八月吉日 建立」
(碑陰)
発起人が記されています。
(説明板)
「記
久保田万太郎の生家近くに昭和五十二年八月建つ。内山栄一区長の題字と「九月二十六日、十五夜、たま々浅草にあり」として昭和二十五年作、二十七年『冬三日月』に収録されて居る句を碑に刻す。
浅草にて 万
ふるさとの 月のつゆけさ 仰ぎけり
久保田万太郎先生生誕の地碑建立委員会」
(江戸料理櫻田説明板)
「パワースポット
久保田万太郎 生誕の地
大正・昭和時代に文学、演劇、演芸に多大な功績を残した久保田万太郎。
この場所はそんな万太郎の生誕の地であり、文学や芸能を志す人々からパワースポットとして話題を呼んでいます。
また、櫻田店内に竹久夢二が描いた絵に万太郎の俳句を添えた書がございます。
ご遠慮なくご覧ください。
江戸料理 櫻田」