天正18(1590)年、徳川家康が江戸に入城すると、木材の流通に携わる商人を全国から招集し、
江戸城修築後も、その多くが江戸に残り、日本橋本材木町を中心に店を構えました。
寛永18(1641)年の江戸大火で、火事が延焼したのは点在する材木商の「高積み」が原因と指摘され、材木商は永代島に集められました。のちに元木場と称されました。
元禄14(1701)年、15名の材木問屋に猿江の地が払い下げられ、四方に土手を築き、堀をめぐらすなどの整備を行い、貯木場を造成しました。
この貯木場があったことが木場の名前の由来です。
(東京木材問屋協同組合HP及び国立国会図書館HPを参照しました。)
「江戸切絵図」
木場の抜粋です。「木置場」の文字が多く見えます。
「江戸名所図会 深川木場」
木場は江戸の名所のひとつとなっていました。
四方を土手に囲まれた造成地に堀が巡らされ、橋で繋がれています。多くの材木と材木問屋が見えます。
釣り糸を垂らしている人物も描かれています。
「名所江戸百景 深川木場」(広重)
広重も木場を描いています。
「絵本江戸土産 深川木場」(広重)
挿絵には「この辺材木屋の園多きにより名を木場といふ その園中おのおの山水のながめありて風流の地と称せり」とあります。
「江戸名所百人美女 木場」(豊国・国久)
太い綱が巻かれた錨が描かれた着物を着た女性が、棒手振りの「竹馬古着屋」を呼びとめ、古着の布を見ています。
こま絵に木場が描かれています。
「竹馬古着屋」はこちらで記載。
「東都花暦 木場ノ魚釣」(英泉)
材木の上でこどもが釣りをしています。
「武蔵百景之内 深がわ木場」(小林清親)
広重の名所江戸百景と同じような構図です。
「東京開化狂画名所 深川木場 川童臭気に辟易」(月岡芳年 都立図書館蔵)
材木の上で釣りをする人間から、尻子玉(人間の肛門内にあると想像された架空の臓器で河童の好物)を抜こうとした河童が
釣り人のおならに撃退されています。河童のお腹まで黄色くなっています。
「木場之雪」(川瀬巴水)
「東京風景木場雪景」(織田一磨 大正6年 都立図書館蔵)
「新東京百景 深川木場」(前川千帆 昭和5年 都立図書館蔵)
木材関連業者が昭和49(1974)年から昭和56(1981)年にかけて新木場へ移転し、跡地の木場(貯木場)は平成4(1992)年に木場公園として開園しました。
「東京震災録 地図及写真帖」(東京市 大正15年)
大正12年10月22日の「深川木場町」です。
木場と同じく、本所の竪川の北側(旧相生町一丁目〜二丁目付近)にも材木問屋が密集していました(こちらで記載)。
「江戸切絵図」
「富嶽三十六景 本所立川」(北斎 メトロポリタン美術館蔵)
「江戸名所道戯尽 三十七 本所立川辺り景」(広景 都立図書館蔵)
猿江恩賜公園には、かつて江戸幕府の貯木場がありました(こちらで記載)。