Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 木場親水公園


○下木場欅一枚板看板 江東区木場2-18-14(舟木橋第二児童遊園)

 木場親水公園に隣接する舟木橋第二児童遊園内に、下木場欅一枚板看板が建てられています。
 なお、この場所にカナダから寄贈されたトーテム・ポールがありましたが撤去されています。

(掲示)
 「下木場 下木場神輿保存会」

    

(説明板)
「下木場欅一枚板看板
 この付近は、地域の俗名で「下木塲」と呼ばれており、三年に一度開催される深川八幡の本祭りでは、神輿を展示するお仮屋が設置されます。
 木場の川並(材木を河川で筏に組み運搬する職人)文化と「下木塲」という名を後世に伝えるために設置しています。」

  

○舟木橋跡 江東区木場2-18-14

 舟木橋第二児童遊園前の歩道に建てられている「舟木橋跡」碑です。

   

(碑文)
「舟木橋跡
 舟木橋は、江東区木場二丁目地内の大島川東支流に架けた旧入船町と木場町を結ぶ橋長25.2m、幅員33.8mの橋であった。橋名の由来、創架年月ともに不詳であるが、入船町と木場町に架かる橋なのでこの名を得たと言われている。昭和5年に鋼橋に架替えられたが、平成14年3月に老朽化に伴い撤去した。
  平成14年3月 東京都第五建設事務所」

   

○深川さんぽ絵図 東京東信用金庫深川支店 江東区木場2-19-15

 信用金庫に「深川さんぽ絵図」が掲げられています。

   

○木場親水公園 江東区木場2-20〜3-14

 木場親水公園は、「木場の風景」をテーマに整備された延長0.9kmの公園です。
 大島川東支川が親水公園化されており、平成4(1992)年4月1日の開園です。
 筏を操る川並の像など木場の風景を表す多くのパブリックアートが設置されています。

 昭和38年頃の大島川東市川と繁栄稲荷神社

  

<舟木橋から>

 永代通りの舟木橋上から、大島川東支川が埋立てられた駐輪場とその先の木場親水公園です。

   

<木場親水公園案内図>

   

  

  

<しっくい護岸> 江東区木場2-18

 元々のしっくい護岸ではなく、左官・漆喰作家の山本堪一氏の作品「なまこ壁」です。

  

<モニュメントつるべ>

 「モニュメントつるべ」から先に親水が始まります。

   

<モニュメント荷足>

 案内図には「荷足船(にたりぶね)」と記載されていますが船はありません。荷足が置かれています。
 荷足とは、船の安定性をよくするため、船底に積む重いバラストです。

    

  

<川並> 江東区木場2-12

 川並は、背中に「木場」と書かれた半纏を着て、材木を操っています。

    

    

(プレート文)
 「川並
  制作 日展会員 上野弘道
  (制作助手4名のお名前)
  建立 1992年3月吉日」

  

<いろは歌>

 「いろは歌」が敷かれています。
 合間に「壱組」「寛永通宝」などをはさみます。
 何をイメージしているのかわかりません。江戸町火消しですか?

    

<下木場の碑> 江東区木場2-17

 木工家の渡邊美壽雄氏(江東区指定無形文化財保持者)の木彫の作品が掲げれています。

  

<ひのき舞台>

 なぜか「ひのき舞台」

   

<モニュメント絵巻> 江東区木場2-17

 木場慕情絵巻のタイルモザイクのモニュメントです。
 案内板の記載から手前のタイルモザイクかと思いましたが、高速道路の橋脚下のタイルモザイクも含めてのようです。

   

<下木場橋>

 木橋「下木場橋」です。その先は「築島橋」です。

   

<護岸ギャラリー>

 下木場橋と中木場橋の間、築島橋と木場橋を潜る道の両岸護岸に「護岸ギャラリー」が描かれています。

   

<鴨の家>

   

<木場橋> 江東区木場3丁目

 大島川東支川に架かる橋です。
 昭和62(1987)年の架設ですが、昭和4(1929)年の震災復興橋梁が残されています。

    

<角乗り練習場>

 角乗りの練習場で、水深は、他より深い1.5mあります。
 大きな鯉が泳いでいました。
 「この場所の水深1.5mなので注意してください。」

     

<中木場橋>

  

<江戸和船> 江東区木場3-8

 江戸和船と柳がマッチしています。

    

<船着場>

   

<杭>

   

<鶴の橋>

    

   

<中木場の碑> 江東区木場2-17

 木工家の渡邊美壽雄氏(江東区指定無形文化財保持者)の木彫の作品が掲げれています。

   

<常夜燈>

 常夜燈が三基、配置されています。

  

<ジャブジャブ池>

  

<親水館>

  

<親水終端>

    

<水辺のまちの形成史・・・・400年>

 親水終端から道路を渡って北上します。
 江戸初期から現在までの江東区の歴史を説明した8枚のパネルが設置されています。
 最初の2枚だけ拡大写真です。

(パネル)
「【江戸初期】1590→1657
◎江東地区の開発は、徳川家康 の入府による江戸のまちの拡大とともに始まります。
 この頃までの江東地区は、ほとんどが低湿地で、亀島、大島、宝六島、永代島などの地名でわかるように小島が点在していました。
 開発は、現在の森下を中心とした深川村、佐賀・永代辺りの永代島、猟師町、小名木川南岸沿いの海辺新田、大島や砂町などで行われました。
 この頃、石島や千田あたりは、まだ海でした。
 水辺のまち形成史・・・・400年 水域環境変遷パネル〜 江東区」

    

<要橋>

 葛西橋通りに架かる要橋を潜り終えたところです。

  

<ポンプ室>

 仙台堀川から導水しています。

   

<仙台堀川>

    


戻る