大丸創業者である下村彦右衛門正啓が宝暦7(1757)年に創建した繁栄稲荷神社です。
大丸松坂屋百貨店本社の敷地内となります。
<社号標/鳥居>
社号標「繁榮稲荷神社」。
鳥居(江東区文化財)は、下村店中による奉納で、安政4(1857)年再建銘です。
<由緒>
(掲示)
「由緒
当繁栄稲荷神社の祭神は京都伏見稲荷大社の御分霊にましまし乃古宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能賣大神の三御柱であります。古来五穀豊穣、商賣繁昌、藝能上達の神として世の尊崇敬仰をあつめております。
当神社の起源は今を距ること二百四年前、江戸時代の中期、宝暦七年この木場の地に創祀されたのにはじまります。大丸の業祖下村彦右衛門正啓は享保二年伏見に創業し寛保三年日本橋大伝馬町に江戸店を設けましたが越えて宝暦七年深川木場四丁目即ち現在の繁栄橋々畔に貯木場を備うる別墅を営み、その一廓に社殿を造り伏見稲荷大社の御分霊を祀り繁栄稲荷と称したのであります。
祭神の霊験いとあらたかで、地元の木場はもとより江戸一円の信仰をあつめ、三月十二、十三日の例祭には門前市がたつの大賑わいでその側の堀に架せられた橋もいつしか繁栄橋とよばれて今に伝わっているのであります。
明治末年大丸東京店(昔の江戸店)を閉じ木場の別墅も廃したとき社殿は先代根津嘉一郎氏の青山邸に移り同家の嘉栄稲荷の社殿となり、関東大震災、第二次世界大戦の空襲にもその災禍から免がれ二百年前のお姿そのままで残ってまいりました。
昭和三十五年五月たまたまその社殿が繁栄稲荷のものであったことがわかり、根津家の御厚意で大丸へ御返譲していただくこととなり、旧地に接したこの地に境域を卜して昔ながらのお姿を以て本殿、玉垣その他を移築あらたに伏見稲荷大社の御分霊を勧請してお祀りすることになったのであります。
由緒の数々を思い御神徳のいやちこなるに今さら心うたるる次第であります。
昭和三十六年十月吉日」
(説明板)
「江東区指定有形文化財(建造物) 繁栄稻荷神社本殿
木場二ー一八ー一二繁栄稻荷神社
平成二六年四月四日指定
繁栄稲荷神社は、呉服商大丸屋(現大丸)が宝暦七年(一七五七)に深川木場の別邸に伏見稲荷
から分霊して祀ったのが始まりとされます。現存する本殿は安政二年(一八五五)の江戸大地震後の再建と推定されます。本殿は桁行三間、梁間二間、木造平屋建、入母屋銅板葺屋根で、正面に千鳥破風を付け、さらに一間の向拝(正面の屋根を前に張り出した部分)を設けています。向拝は装飾をこらし、水引虹梁(向拝正面の梁)には渦を巻いた細かな絵様が施され、その上の中備には龍と人物の彫物が付けられています。明治四四年(一九一一)に大丸と親交のあった根津嘉一郎の青山邸(現根津美術館敷地内)に移築されたため、関東大震災と戦災を免れました。昭和三六年(一九六一)に大丸に返還され、旧地に近い現在地に移築されました。
近世商家の信仰を示すとともに、向拝の装飾の細部に江戸末期の意匠の特徴をよく示すなど、繁栄稲荷神社本殿は江東区では稀有な近世木造建築です。
昭和36年頃の繁栄稲荷神社。手前に見えるのは大島川東支川 。
(J.フロントリテイリング史料館所蔵)
平成二七年一二月 江東区教育委員会」
<御神燈> 江東区文化財
文政6(1823)年銘の燈籠講の奉納による御神燈です。
表と裏に仙人の浮き彫りが施されています。
<狛犬> 江東区文化財
狛犬は両像とも足元に子犬がいます。
神狐も置かれています。
<天水桶> 江東区文化財
嘉永7(1854)年銘の天水桶です。
江東区資料によると、銅屋元次郎の作です。
天水桶上部の額縁には「大」の文字が模様として刻まれています。
<石燈籠>
大丸役員一同の奉献による石燈籠です。
「昭和三十六年十月吉日奉献
株式会社大丸役員一同」
本殿の周囲には、他に江東区文化財の「石造燈籠寛政6年在銘一対」「石造燈籠明治28年在銘一対」「燈籠(残欠)明治29年在銘一対」がありますが、
文化財に指定されているとは知らず確認しませんでした。後から知りましたが手水鉢も文化財です。
<本殿> 江東区文化財
本殿は江東区文化財に指定されています。
本殿内には江東区文化財の「木造燈明台文化15年在銘一対」「木造三宝寛政7年在銘」「木造随神倚像二躯」があるようです。
本殿右側に掲げられている扁額「稲荷神社」です。
本殿右側に掲げられている嘉永7(1854)年銘の扁額「富好行其徳」も江東区文化財です。
江戸を代表する呉服店として、駿河町「越後屋呉服店」、通一丁目「白木屋呉服店」、大伝馬町「大丸屋呉服店」が「江戸三大呉服店」です。
・享保 2(1717)年 下村彦右衛門正啓が京都伏見に呉服店「大文字屋」を開業(大丸創業)。
・寛保 3(1743)年 江戸日本橋大伝馬町3丁目に江戸店開業。
・宝暦 7(1757)年 江戸深川木場4丁目繁栄橋畔に木場別荘をつくり、繁栄稲荷を祀る。
・明治43(1919)年 東京店(江戸店)を閉鎖。
・昭和29(1954)年 東京駅八重洲口に東京店開店。
「名所江戸百景 大伝馬町こふく店」(広重)
呉服店の大丸屋が描かれています。
「江戸名所 大伝馬町大丸呉服店の図」(広重 ボストン美術館蔵)
「下村呉服店之図」(豊広 寛政末-享和頃)
下村呉服店(大丸屋)が描かれています。
「大伝馬町大丸」(小林清親)
明治時代の大丸が描かれています。
電柱が描かれている他は、江戸時代と同様な大丸です。
井上安治も「日本橋区大伝馬町参丁目大丸屋呉服店繁栄図」を描いています(パブリックドメイン画像みつけられず)。
「日本之名勝」(史伝編纂所 明治33年)
明治時代の大丸屋呉服店の写真です。
「日本鉄道線路案内記」(博文館 明治35年)
明治時代の下村呉服店の広告です。