「江戸名所図会 渋谷氷川明神社」
「渋谷氷川明神社」と「宝泉寺」が描かれています。
2枚目は表参道の拡大です。
左側に「土俵」が見えます。
本文には「祭礼は九月二十九日なり 此の日社前にて角力を興行す」とあります。
また、石階左手に「神木」「守武萬代石」が見えます。「神木」は「常盤松」でしょう。
「江戸切絵図」
「東福寺」「氷川宮」「寶泉寺」及び「金王八幡宮」部分の抜粋です。
<表参道>
社号標の奥に安永4(1775)年銘の一之鳥居。
渋谷川の谷から東渋谷の台地にある社殿に石階段を登りつつの長い参道で、樹木が鬱蒼と茂っています。
<土俵>(氷川の杜公園 渋谷区東2-5-24)
参道左手は、金王相撲跡の土俵のある「氷川の杜公園」です。
ここでは古くから奉納相撲が行われていました。
「江戸名所図会」には、「土俵」と記されています。
金王は、「渋谷金王丸」に由来します。
(説明板)
「東二丁目5番6号
氷川神社境内
氷川神社金王相撲跡
この氷川神社の創建は、区内でも古く、かつての下渋谷村、下豊沢村の鎮守社でした。そのころの祭日は、九月二十九日で当日は境内で相撲が行われ、その相撲場は今も残っています。
この行事を金王相撲といい、いつごろから始められたか明らかではありませんが、かなり古くから行われていたらしく、近郷はもちろん江戸の町からも見物人が集まり、凶年などには休業しようとしても見物人が集まるので、やむなく興行したといいます。
ここで相撲をとったのは、本職の江戸の力士ばかりではなく、近郷の若者も大勢参加し、江戸時代の村のレクリェーションの場となっていました。
渋谷区教育委員会」
<日露戦役紀念碑>
「明治三丗七八年戦役紀念碑 希典書」
乃木大将の筆です。
台座には「一番組」とあり消防組による建立です。
その下には、江戸名所図会に描かれている「守武万代石」があります。
(「守武万代石」を含めての全体像を撮り忘れていました。)
<北参道>
北からの参道と合流します。
<二之鳥居>
次の石段の上にある二之鳥居です。
<本殿御敷地舊趾>
現在は参道を進み左手に社殿がありますが、
以前は江戸名所図会に描かれているように、参道の正面に社殿がありました。
<東参道>
表参道と北参道の間は、通り抜けていく人多し。
<八幡神社/秋葉神社>
拝殿の右に八幡神社(左)、秋葉神社(右)があります。
<百度石>
八幡神社の隣に、珍しい手水鉢型の百度石があります。
百回手を洗うのですかね。
<厳島神社/稲荷神社>
境内奥に厳島神社(左)、稲荷神社(右)があります。
<手水鉢>
<社殿>
毎月15日を「いいご縁の日」としています。
「五等分の花嫁」とのコラボ企画が開催中でした。