Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 渋谷 宝泉寺

  ○ 宝泉寺
  ○ 金王八幡宮(渋谷城址) 別頁
  ○ 渋谷氷川神社      別頁


○ 宝泉寺 渋谷区東2-6-16

<几号水準点>

 本堂向かって左にある「常盤薬師堂」碑の台座正面最下部の中央に几号水準点が刻まれています。
 「常盤薬師堂」は、源義朝の側室、常盤御前の持仏を祀ったお堂で、文化文政の頃火災により焼失しています。
 現在は「常盤薬師堂」碑と持仏だけが残ります。

     
 

「江戸名所図会 渋谷氷川明神社」

 「渋谷氷川明神社」と別当の「宝泉寺」が描かれています。
 2枚目は参道からの宝泉寺部分の抜粋です。

   
 

「江戸切絵図」

 「氷川宮」と「宝泉寺」が一緒に描かれています。
 近くに「金王八幡宮」があります。

  
 

<参道>

 参道から境内に入ると樹木が鬱蒼と茂っています。

   

(説明板)
「東二丁目6番16号 天台宗 慧日山薬王院 寶泉寺
 区指定有形文化財 平成十九年三月一日
 木造阿弥陀如来立像
 本像は当寺の本尊で、両手の第一指と第二指を捻じる来迎印を表す阿弥陀如来立像です。像は頭の頂から両足のほぞにいたるまで一本の樹木(針葉樹)から彫り出し、これを耳の後ろを通る線で前後に割り、頭部も首下でいったん割り離し、それぞれの内側に刳りを入れた割矧造という技法が用いられてます。
 端正に身を伸ばして立った姿は、玉眼につくらず彫眼とし、螺髪も小粒に彫出するという手法とともに、平安時代後期の作風を引き継いでいます。しかし、波型の髪際や着衣の細やかで明快な衣文の彫法には、鎌倉時代後期の洗練された表現が際立っています。とくに左肩に大きく折り返してかかる衲衣の纏い方や、体部全面を覆うその装飾的に整えられた衣文表現は、13世紀後半頃の傾向をよく伝えるものといえます。お顔にわずかな整形を加えているほか、袖の大部分を補修しているものの、当初の像容を損なわずに伝存した本像は、区内に伝わる秀れた鎌倉時代の作例として重要です。
  渋谷区教育委員会」

  
 

<地蔵像ほか>

   


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