Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 足立区立郷土博物館 屋外展示

  ○ 庚申塔/馬頭観音/道標など

  (参考)
   ・芭蕉句碑/水戸海道道標/千住新橋親柱(屋外)
   ・六阿弥陀道標・弘法大師道道標(屋外)
   ・庚申塔/馬頭観音/道標など(屋外)
   ・やっちゃば展示(館内)
   ・東郊農村など(館内)


○足立区立郷土博物館 足立区大谷田5-20-1 03-3620-9393 HP

 屋外展示の庚申塔や馬頭観音です。
 屋根修理予定のため囲われて近寄れませんが、展示左から順に記載。

 「屋根修理予定の為、囲ってあります。
  立ち入らなうようご協力よろしお願いします。
  立入禁止
      郷土博物館」

    
 

<用水桶> 説明なし

  
 

<蓬来石/力石>

 文政10(1827)年銘の蓬来石一基と力石が五基が集められています。

   
 

<庚申塔(文政年間銘)> 移設元:足立区江北2 江北橋土手下

 下沼田村の庚申講中が文政年間に造立。覆屋に納められています。

   
 

<正八幡宮道標> 移設元:足立区竹の塚2-9-1

 増田橋(赤山道/日光道)に設置されていた道標です。別途記載

  
 

<一心講の碑> 移設元:足立区千住4-5旧大野家庭先

 富士講の一心講が昭和10(1935)年に建立。

(説明板)

「一心講の碑
もと千住四丁目5番、旧大野家庭先にあったものをここに移した。富士登山三十三度の大願成就を記念して、一心講の先達大野亀太郎のために講中が昭和10年に建てたものである。足立区は富士講が盛んで、富士塚が8基あり、多くの講中が組織されていた。現在でも区内七富士巡りなどが行われている。」

   
 

<橋供養塔> 移設元:足立区花畑6-25

 安永2(1773)年銘の大鳥神社への道にあった大鳥橋の供養塔です。
 「□本廻國供□橋」

   
 

【馬頭観音二基】

   
 

<馬頭観音坐像>

  
 

<馬頭観世音石祠>

 石祠型庚申塔があるように、石祠型の「馬頭観世音」です。

  
 

<花畑・六木の分岐点道標> 移設元:内匠橋

 (こちらでも記載

 明和4(1767)年銘の「庚申講中」による道標です。
 「庚申講中」が造立したので、道標型庚申塔ですか?

 (正面)「左 棋戸道 是より千住迄 一里半」
 (右面)「右 ニがう半道 是より戸ヶ崎渡場迄 廿丁」
     「明和四丁亥十一月吉日庚申講中」

   
 

<学童集団疎開平和記念碑>

 令和2(2020)年10月建立と新しい碑です。

   
 

<石臼>

  
 

<甲良屋敷山神祠跡> 移設元:足立区千住旭町10-31(千寿常東小学校内)

 甲良屋敷には邸内に5つの社があったようです。

  
 

<安養院礎石> 移設元:足立区千住元町

 安養院については、こちらで記載しています。

   
 

<小溜井引入口圦> 移設元:垳川

 (こちらでも記載

 垳川にあった小溜井引入口圦が置かれています。
 他にもう一基「弥五右衛門前圦」がありますが、よくわかりません。

  
 

【下妻街道石碑】

  
 

<百躰庚申塔(嘉永元年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道

 嘉永元(1848)年銘の庚申塔(百躰庚申塔)です。二ツ谷庚申講中が造立。

   
 

<青面金剛庚申塔(寛政十二年銘)> 移設元:足立区青井5-1下妻街道

 寛政12(1800)年銘の庚申塔です。二ツ谷庚申講中が造立。

   
 

<宝永三年(1706)銘道標> 移設元:足立区青井5-1下妻街道

 (こちらでも記載

 宝永3(1706)年銘の蛇体(宇賀神)を主尊とする「花又村 不動院」への道標です。

 「是より□□□
  花又村 不動院ヘヨシ
  施主 中村□太夫」

    
 

<旧足立区立第二中学校校歌石碑> 移設元:足立区千住曙町34-12(現:東京未来大学)

 昭和の俳人石田波郷が作詞した歌詞を、自筆原稿のまま刻んだ校歌碑です。

   
 

<裏門堰> 移設元:足立区西綾瀬1-8-1

 「裏門堰」「大正四年三月竣工」と刻まれています。
 裏門堰については、こちらで記載しています。

     
 

<蛇橋親柱> 移設元:足立区花畑8丁目2・3番〜花畑8丁目8・9番

 別途記載

  
 

<写真展示>

 昔の写真が展示されています。
 ガラスに光が反射して見えにくいです。お化け煙突だけ撮影。

  


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