Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 江東区亀戸

  ○ 五之橋
  ○ 三代豊国五渡亭園
  ○ 堅川人道橋


○堅川人道橋 江東区亀戸6丁目〜大島3丁目

 かつての都電の軌道敷が、亀戸緑道と大島緑道に整備され、その間、首都高速下に、竪川人道橋があります。
 亀戸側には線路と車輪のモニュメント、説明板「竪川専用橋と竪川人道橋の歴史」があります。
 大島側には、説明板「橋の記憶」があります。

<竪川人道橋>

   

「昭和42年当時の風景」

   

<竪川河川敷公園案内図>

    

<竪川専用橋と竪川人道橋の歴史> 江東区亀戸6-33-1

(説明板)
「竪川専用橋と竪川人道橋の歴史
 かつてこの場所には、路面電車が走るための『竪川専用橋』が水神森〜大島間の開通に合わせ、大正十年一月より架設されていた。
 当初の運営は大正二年十月に設立された城東電気軌道(株)で、昭和十七年ニ月に東京市営、同十八年七月に都営となった。ところが、昭和ニ十年の大空襲により甚大な被害を受けた。しかし復興に努め、昭和ニ十四年には区内全域が開通した。
 『チンチン電車』と呼ばれて親しまれ、便利だった都電も昭和三十年代の高度経済成長政策の頃から、自動車交通の急激な発達により道路が渋滞し、輸送力低下による赤字決算の連続となった。その結果、昭和四十七年、区内全線が廃止された。
 そして、昭和五十年、この橋は歩行者専用橋として改修され『竪川人道橋』と呼ばれるようになり、同五十四年、橋の南北の軌道敷は緑道公園に生まれ変わった。
 以来、この橋は平成7年の景観整備工事にて都電をモチーフに修景され、地域の歴史を伝えるモニュメンタルな橋として地域に親しまれてきたが、老朽化が進んできたこともあり、竪川河川敷公園の大規模改修に合わせ一体整備されることとなり、平成23年に橋は撤去され、現在の姿となっている。
 なお、モニュメントのレールの一部は『25系統』の亀戸九丁目で使われていたものを再使用しており、車輪は当時の写真等を参考にオブジェとしてデザインされたものである。
  令和2年 江東区土木部」

  

<モニュメント> 江東区亀戸6-33-1

     

<橋の記憶> 江東区大島3-23

 大島側に説明田「橋の記憶」があります。

  

(説明板)
「橋の記憶
 ここには、かって川があり、橋がありました。
 橋には都電が走っていました。
 時の流れとともに、都電は廃止され、高速道路が建設されました。
 やがて、川は理め立てられ公園となり、役目を終えた橋が撤去されました。
 長年、みなさんに親しまれた橋の思い出を次の世代に伝えていくため、
 ここに「橋の記憶」を設置します。

 竪川人道橋の概要
  橋長 23. Om
  幅員 6.5m
  形式 3径間単純鋼桁橋

 経緯 
  大正10年 1月 路面電車の専用橋として架設
  昭和46年 3月 高速道路の開通
  昭和47年11月 都電の廃止
  昭和50年 2月 歩行者・自転車專用橋として再整備
  昭和59年 4月 竪川河川敷公園の開園
  平成23年 9月 橋の撒去」

  

「昭和30年頃 竪川人道橋を走る都電」

  

「平成23年 竪川人道橋撤去前」

  

「昭和30年頃 橋周辺の地図」

  

「昭和37年7月 江東区都電路線図」

  


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