・竪川河川敷公園
・三代豊国五渡亭園
・三代目歌川豊国の生地
・かわらぬ恋の池
・寛永通宝噴水
・五之橋下浮世絵ギャラりー
竪川河川敷公園は、首都高速道路7号線の高架下にある延長2.4kmの江東区立の公園です。
竪川河川敷公園の中に、「三代豊国 五渡亭園」があります。
<東屋と人力車>
東屋の脇に「人力車」が展示されています。
(説明板)
「人力車
五の橋豊国通り商店会が、地域振興のために、平成24年に職人に製作を依頼したものです。」
○三代豊国五渡亭園 江東区亀戸6 五ノ橋豊国通り商店会 HP
三代歌川豊国が五ノ橋際に住んでいたことにちなんで作られた庭園です。
浮世絵ギャラリーや「朱塗りの太鼓橋」、「かわらぬ恋の池」などがあります。
(説明板)
「三代目 歌川豊国の生地
三代目歌川豊国は江戸時代後期の浮世絵師。初代豊国の高弟ではじめは国貞と名乗り、のちに豊国を襲名する。本名を角田庄五郎と称し、天明六年(一七八六)に本所五ッ目(亀戸五・六丁目付近)で生まれる。五渡亭、一雄斉、香蝶楼など多くの画号があり、とくに五渡亭を一番長く愛用した。その名の由来は、本所五ッ目に居を構え、竪川にかかる五ッ目の渡し船の株をもっていたことに因んで、天明期を代表する狂歌師大田南畝(蜀山人)から贈られたという。のち亀戸町に転居し、生涯を亀戸周辺で過ごした。
豊国は文化・文政期(一八〇四〜一八三〇)を代表する浮世絵師として、美人画・役者絵など多彩なジャンルで活躍した。なかでも柳亭種彦の合本『偐紫田舍源氏』では、挿絵を担当し大人気を得る。この作品をきっかけに源氏物語の世界観を描く「源氏絵」のジャンルを確立し、当時の歌舞伎にも影響を与えた。
その活躍期間は長く、江戸時代の浮世絵師のなかでも最多の作品数をほこる。元治元年(一八六四)に七九歳で死去。墓所は亀戸光明寺(亀戸三‐四ニ‐一)にある。
(歌川豊国「江戸名所 百人美女 五百羅かん」を掲示) 江東区」
「江戸名所 百人美女 五百羅かん」(歌川豊国 国立国会図書館蔵)
※「歌川豊国翁之碑」(江東区文化財)が亀戸天神にあります。こちらで記載。
※「歌川豊国墓」が光明寺にあります。こちらで記載。
<朱塗りの太鼓橋>
江戸時代、亀戸あたりでは江戸城の瓦を造っていました。
瓦と鯉をかけて「かわらぬ恋の池」と名付けられています。
(説明板)
「「竪川と瓦」
この竪川沿いでは良い粘土が採れたことから、瓦職人が多く住み、江戸城の瓦も焼かれました。
その名残として亀戸の一部地区では「上瓦」と染めた祭り半纏を着用しています。
地元の方々は、池に棲む鯉とかけて「かわらぬ恋の池」と呼んでいます。」
寛永通宝をかたどった噴水があります。
橋げたの下に、三代豊国(五渡亭国貞)の役者絵と美人画が掲示されています。
常時22枚の浮世絵が展示され、随時、浮世絵が変更されるようです。