○ すみだリバーウォーク〜言問橋
○ 言問橋〜桜橋
○ ウォールアートギャラリー(今戸地区)
○ 今戸2丁目〜橋場1丁目〜橋場2丁目
○ 白鬚橋
○ 水神大橋
(参考)
○ 隅田川ウォールアートギャラリー(両国地区)
○ 隅田川ウォールアートギャラリー(浜町地区)
「屋形船」「屋根船」と「花火」の透かし彫りです。
言問橋から上流の透かし彫りは「桜」です。
<東京大空襲戦災犠牲者追悼碑/言問橋の縁石> 台東区浅草7-1-6 別途記載
<竹屋の渡し跡> 台東区浅草7-1-22 別途記載
<山谷堀水門> 台東区浅草7-1-22、今戸1-1 別途記載
<明治天皇御製碑> 台東区今戸1-1-10 別途記載
「〜『粋』のある浅草今昔ギャラリー〜」として、
浅草・今戸地域の文化や街並みの錦絵が「江戸〜明治〜大正〜昭和」と展示されています。
東京都建設局のサイトに説明があります(サイト)。
<桜橋>
隅田公園入口にある案内板
<隅田川テラス案内図>
「桜橋」「待乳山聖天」の説明があります。
<隅田川距離標>
「隅田川距離標
河口より7.9km地点」
「河口より8.0km
墨田川右岸」
<隅田川ウォールアートギャラリー>(南端)
「〜『粋』のある浅草今昔ギャラリー〜」
<展示>
下流から順に「江戸〜明治〜大正〜昭和」と辿ります。
「東都名所 浅草金竜山」(広重)
2枚目は国立国会図書館蔵書。
「江戸高名会亭尽 今戸橋之図 玉庄」(広重)
「狂句合 夜光の玉庄燈臺の百目掛」
掲示の題名は会亭ではなく金亭と誤っています。
3枚目は国立国会図書館蔵書。
「江戸名所 猿若町芝居顔見世繁栄の図」(広重)
「東京名所四十八景 ミめくり真乳山遠景」(昇斎一景)
2枚目は都立図書館蔵書。
「東京真画名所図解 今戸橋雪 明治前期」(井上安治)
2枚目は国立国会図書館蔵書。
「東京両国橋開大花火之図 永島春暁 明治23年5月(1890)」
「凌雲閣機絵双六 歌川国貞 明治23年11月(1890)」
「東京名所真景之内 如月待乳山雪のたそがれ 小林清親 明治29年(1896)」
「東京風景六 待乳山 織田一麿 大正5年(1916)」
待乳山聖天の境内の同じ光景の場所にも、掲示があります。
「東京名所 浅草公園池畔観覧場殷賑之光景 大正7年4月10日(1918)」
「大東京十二景の内 七月 花火の両国(隅田川) 藤森静雄 昭和8年8月(1933)」
<隅田川ウォールアートギャラリー>(北端)
「〜『粋』のある浅草今昔ギャラリー〜」の説明板があります。
<隅田川テラス案内図>
「早慶レガッタ」「橋場の銭座」の説明があります。
<隅田川テラス案内図>
←白鬚橋650M →桜橋550M
<隅田川テラス周辺案内図>
「隅田川テラス」「白鬚の渡し」の説明があります。
<橋場銭座跡> 台東区橋場1-1-6 別途記載
<橋場の渡し> 別途記載
<明治天皇行幸対鴎荘跡> 台東区橋場2-1 別途記載
(碑文)
「白鬚橋
白鬚(しらひげ)の名は、天暦五年(九五一年)創建の縁起のある向島の白髭神社に由来している。古来、梅若伝説で知られる渡船場もこの辺りにあり、のちには舟の浮橋などもかけられたという説もある。
ここを、「船場の渡し」といったのは、このゆかりの名であり、交通の要地であったことを示している。
大正三年(一九一四年)には、地元の住民によって会社が設立され、有料の木橋がかけられた。
関東大震災(一九二三年)を経て、復興事業の一環として、昭和六年(一九三一年)に重量感溢れるアーチ橋としてかけかえられた。その後、東京大空襲などにも他の橋とともに多くの人を救う役割を果たした。
現在も、荒川区・墨田区・台東区の三区を結ぶ重要な橋である。
昭和五十八年三月 東京都」
「名所江戸百景 隅田川 水神の森 真崎」(広重)
石碑にはめ込まれているパネルの国立国会図書館所蔵の錦絵です。
墨堤の桜から、手前に水神の森、隅田川対岸に真崎稲荷、遠方に筑波山が描かれています。
ここからは筑波山は右手なので見えないはずですが描かれています。
<石浜渡津跡(橋場の渡し、白鬚の渡し)> 荒川区南千住3丁目(白鬚橋西詰) 別途記載
水神の森は、隅田川神社と改められていますが、水神大橋にその名を留めます。