Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 煉瓦造祠(足立区)

  ○ 南足立郡と煉瓦産業
  ○ 島氷川神社
  ○ 堀之内氷川神社
  ○ 加賀町町会会館
  ○ 元宿堰稲荷神社 別頁
  ○ 勝専寺     別頁


○南足立郡と煉瓦産業

 煉瓦産業には、煉瓦の材料となる良質な土と、煉瓦を輸送する手段が不可欠でした。
 南足立郡では、煉瓦製造に最適な荒木田土が採取できる隅田川が流れ、また、水運を利用できる利点がありました。
 明治20年代には足立区内に15ヶ所の煉瓦工場があったといいます。
 令和5(2023)年3月16日に令和4(2022)年度の新規文化財として煉瓦造稲荷神社3件が登録されました。
 地元で焼かれた煉瓦で祠が造られていることが文化財登録につながっています。

 (参考)「荒木田の原」(荒川区町屋)
     「煉化工場跡」(足立区宮城)
     「煉瓦工場と荒川遊園」(荒川区西尾久)


島氷川神社 足立区鹿浜2-28-4

 鹿浜の獅子舞が行われる神社のひとつです。
 江北氷川神社の兼務社の一つです。
 煉瓦造稲荷神社(足立区文化財)があります。

<掲揚台>

 御大典記念(大正四年十月)の掲揚台が二基、鳥居の前に並んでいます。

    

(裏)
   

<入口>

 二祠の前にも入口が設けられています。

  

<鹿浜獅子舞>

 鹿浜獅子舞が足立区文化財に登録されています。

<保存樹木>

 保存樹木が3本あります。

(説明板)
「足立区指定第362〜364号
 保存樹木 いちょう・むくのき・すだじい
 当社には、イチョウ・ムクノキ・スダジイの保存樹があります。都会では大木が少なくなってきているので、大切にしています。落ち葉の時期などにはお世話をかけることもあるかと思いますが、皆様のご協力をお願いします。」

     

<煉瓦造稲荷神社> 足立区文化財

 令和5(2023)年3月16日に令和4(2022)年度の新規文化財として登録された煉瓦造稲荷神社3件のうちの一つです。

     

    

<伏見稲荷神社>

   

<諏訪神社>

   

<手水鉢>

  

<神輿庫>

  

<社殿>

   

<扁額>

 「東京中橋大鋸町千三番地 御額師天野徳太郎」
 「明治十六年未九月吉日」
 大鋸町は歌川広重が住んでいた広重終焉の地です。
 興味を惹かれる扁額でした。

  


堀之内氷川神社 足立区堀之内1-7-4

 宮城村から分村した堀之内村の鎮守でした。
 現在は江北氷川神社の兼務社の一つとなっています。
 煉瓦造稲荷神社(足立区文化財)があります。

    

<富士浅間神社 総同行記念>

 丸瀧講の碑です(大正13年)。

   

<保存樹木>

(説明板)
「足立区指定第258号 保存樹木けやき
 当社には「ケヤキ」をはじめ8本の保存樹があります。都市化の進む中で大樹を守ることは難しくなってきていますが、緑は街に潤いや安らぎを与えてくれますので、皆様と共にこれからも大切に育てていきたいと思います。」

   

<鳥居>

 扁額「日枝大神 氷川神社」

   

<手水舎>

  

<力石>

    

<煉瓦造稲荷神社> 足立区文化財

 2つ並ぶ祠のうち、右に煉瓦造稲荷神社(足立区文化財)があります。

    

   

<三峯神社>

 左は「三峯神社」。
 三峯神社の絵馬が奉納されています。

    

<不詳石祠>

 二基並ぶ石祠のうち、左は文字が読めないのでわかりません。

   

<水神宮>

 右の石祠には「水神宮」とあります。
 右側面に「天保六年未七月吉日」の紀年があります。

   

<社殿/本殿>

 昭和61(1986)年に奉納の狛犬。

   

    

 本殿の基礎は煉瓦造です。

    

<氷川神社裏参道>

 こちらは、社殿の裏に出る裏参道です。

    

(標柱)
 
 表「氷川神社裏参道」
 右「昭和五拾五年拾壱月吉日堀之内氷川神社氏子中」

   

 裏参道入口左手のマンションの階段壁が煉瓦造です。
 また、右手の工場の壁や柱は煉瓦造です。

    


加賀町会会館(旧阿弥陀堂) 足立区加賀2-6-6

 阿弥陀堂があったところに建っている加賀町会会館に、
 庚申塔(足立区文化財)と煉瓦造の山王社があります。

  

<山王社>

 煉瓦造の祠には「山王神」が祀られています。

    

   

<覆屋の庚申塔> 足立区文化財

 足立区文化財に指定されている三基の庚申塔があります。

   

(説明板)
「板碑型庚申塔
 庚申塔は庚申信仰をする庚申講の人々によって造立された塔である。
 庚申とは、十干の庚と十二支の申とが結び付いた六十日に一回巡ってくる日や年のことを指す。
 庚申の日には、人間の体内にいる三尸という虫が睡眠中に抜け出て天帝に罪過を告げるため寿命が縮むという説が中国の道教にあり、これが日本に伝わり信仰された。庚申の夜には眠らずに過ごす守庚申に、礼拝本尊や宗教儀礼が組み込まれた庚申待が室町時代の中頃から行われるようになり、江戸時代に入ると一般的にも浸透し、各地に庚申講が結成され、供養のための庚申塔が多数造立されるようになった。
 庚申信仰が石造物として最初に現れるのは板碑としてであり、板碑型の庚申塔とは、板碑からその他のものへの移行過程に多く造立された庚申塔で、板碑に類似した形状のものである。
 この板碑型庚申塔には上部に三猿が陰刻され、中央に「奉造立庚申供養之石塔為二世楽也 敬白」とあり、その両側に「万治元暦(一六五八)戊戌」・「霜月吉祥日」と建立年月日が、下部に八人の施主名が刻まれている。
 この塔は、三猿を表した最も初期の庚申塔であり貴重である。
 昭和六十三年十一月、足立区有形民俗文化財に登録された。
  平成七年三月  東京都足立区教育委員会」

  

 万治元(1658)年銘の庚申板碑です。

    

 寛文4(1664)年銘の地蔵尊を主尊とする庚申塔です。

   

 明和8(1771)年銘の青面金剛の庚申塔です。

    

 他です。

     


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