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 南大塚 天祖神社空蝉橋


天祖神社 豊島区南大塚3-49-1 HP

 鎌倉時代末期の元亨年間(1321〜1324)に、領主の豊島景村が、巣鴨村の鎮守として伊勢神宮の分霊を勧請したのが神明宮の始まりと言われています。
 江戸時代には、十羅刹女と鬼子母神を祀る巣鴨村総鎮守として崇敬を集め、「十羅刹社」と呼ばれていました。
 明治の神仏分離により十羅刹女神を分離(現在東福寺に安置)、天祖神社と改称し「巣鴨天祖神社」と呼ばれました。
 住居表示によって巣鴨の地であった大塚駅周辺は北大塚・南大塚となり、現在は「大塚天祖神社」と呼ばれることが多くなりました。
 境内には、樹齢500年を超える夫婦銀杏や子育狛犬があります。
 

「江戸名所図会 十羅刹女堂」

 神明社(現在の天祖神社)が十羅刹女堂として描かれています。
 右にあるのは別当の福蔵寺です。
 大根の収穫が細かく描かれています。

  

 大根畑で大根を抜いている人と、収穫した大根を天秤担いで運んでいる人が見えます。
 大根を洗っている人と、キセル煙草を吸って休憩している人が見えます。
 馬に大根を載せて運んでいる人が見えます。

    
 

<十羅刹女堂>

 十羅刹女堂は、江戸時代には神明社(現・大塚天祖神社)にありましたが、
 明治維新の神仏分離令により隣接する福蔵寺へと移され、福蔵寺が明治7(1874)年の火災で焼失したため、東福寺の管理となりました。
 福蔵寺の旧地に置かれていましたが、昭和30(1955)年に東福寺境内に移動、安置されました。(こちらで記載

   
 

<すがも史跡まっぷ(抜粋)>

 天祖神社周辺部分の抜粋です。
 巣鴨村に大塚駅が設けられ、巣鴨の中心地だった巣鴨本村は、
 現在は、大塚駅をはさんで豊島区北大塚、南大塚となっています。

  
 

<社号標>

 大塚駅前にある「社号標」です。
 (正面) 「天祖神社」
 (左側面)「鈴木貫太郎謹書」
 (右側面)「昭和九年十一月吉日」
 (裏面) 「大塚仲見世聯合會」

 社号標の先、サンモール大塚商店街入口の鳥居をくぐった先の右手に天祖神社はあります。

     
 

<電柱>

 天祖神社の周囲は、「天祖」名の電柱です。

   
 

<社号標/鳥居>

   
 

<狛犬>

 鳥居の右横に子育て狛犬。お乳を与えています。

   
 

<御神木(夫婦銀杏>

  
 

<手水舎>

 吐水狛犬です。
 千住氷川神社(こちらで記載)以来、久しぶりに見ました。
 古い手水鉢もありました。

    
 

<天祖神社御由緒>

(碑文)
「天祖神社御由緒
御祭神(略)
御由緒
 天祖神社は今からおよそ六百数十年前 即ち元亨年間 当時武蔵国豊島郡の領主であり 豊島氏中興の祖といわれた景村のとき 巣鴨鎮護の神として祀られた と伝えられている。
 江戸時代 鬼子母神の信仰が旺んになり一時十羅刹女神を併せ祀ったこともあるが 明治になって分離された 当神社は神明宮ともまた神明社ともいわれていたが 明治五年 ご祭神の伊勢の皇大神宮が天津御祖の大神であるところから 天祖神社と改稱され今日に至っている 当社の例大祭は九月十七日であって この日は旧暦の神嘗祭(伊勢の三大祭の一つ)にあたり祭儀が古くから巌修され 毎月七日 十七日 二十七日は通稱縁日として昔から門前市をなす賑いを呈している
 天明年間改築された旧社殿は昭和のご大典記念事業として昭和八年に造営され壮麗を極めたものである その後第二次大戦も終りに近い昭和二十年四月の大空襲によってその一切が烏有に帰した その際境内にあった樹齢五百年を数えるご神木夫婦銀杏も戦火を被り 近年ようやく芽吹いて繁茂するようになったものである
 昭和二十五年復興奉賛会が結成され同年ひとまず拝殿が造営された その後区画整理がはじまり造営は一時中断され 境内も三分の一に縮小されることとなった 三十八年にいたって区画整理が完了をみたので氏子 崇敬者の協賛を得て造営工事に着手することとなり 昭和三十九年八月 改めて復興奉賛会を結成して翌四十年八月起工し ご本殿の造営 幣拝殿の修復 社務所並びに参集所の建設及び一連の附属設備工事を完了し 昭和四十三年九月 明治維新百年の意義ある年にあたり 造営竣工奉祝臨時大祭を執り行いここにようやく境内輪奥の美をみるに至ったものである。
  昭和四十三年九月十七日 小林壮平謹書」

   
 

<さざれ石> 岐阜県天然記念物

 ここにある「さざれ石」は、岐阜県春日村で見つかった50トンものさざれ石(岐阜県天然記念物:昭和52年11月)の一部です。
 昭和55(1980)年にサンシャインシティに寄贈された1tの「さざれ石」から、天祖神社に分割奉納されました。

   

 旧春日村が各方面に贈った「さざれ石」と、発見者の遺族が神社に奉納したざざれ石とがあり、全国にちらばっています。
 これまで見た岐阜県の「さざれ石」
 「神田明神」「日枝神社」「乃木神社」「幸龍寺」「玉前神社
 

<拝殿/本殿>

     

 天祖神社御鎮座700年を記念して、令和5(2023)年2月より、本殿・拝殿の屋根替工事が行われています(令和6(2024)年夏竣工予定)。

   
 

<御大典紀年碑/社殿再建碑>

   
 

【社殿左手の末社】

  

 「菅原神社」「熊野神社」「厳島神社」(左から)の合殿です。

   

 「富士神社」
  令和5(2023)年に、御鎮座700年を記念して富士塚と富士神社が建立されました。

    

【社殿右手の末社】

   

 「金明社」(左)と「稲荷社」(右)の合殿です。

     

 「榛名神社」(左)と「三峯神社」(右)の合殿です。
 三峯社の神使は日本狼とされる新しい狛犬がいます。

    


空蝉橋(うつせみはし) 豊島区北大塚2丁目・3丁目〜東池袋2丁目・南大塚3丁目

 貨物線の拡張工事に伴い大正初期に移転した出世稲荷神社(現在地:北大塚3-5)に赤松の木がありました。
 明治天皇がこの地を訪れた際、赤松の木に「せみ」の抜け殻がたくさんあったことをご覧になり、
 「空蝉の松」と名づけられ、その名前から「空蝉橋」と名づけられたといいます。
 「空蝉の松」は工事のため伐採され、現在はありません。(豊島区及び大塚北口商栄会のHPを参照しました。)

    

   


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