長徳山妙行寺と号します。
知泉院日善上人、本妙寺妙音院日慶上人により慶長9(1604)年に麹町の清水谷に創建、
寛永元(1624)年に四谷の鮫河橋南町に移転、明治42(1909)年5月当地へ移転しました。
墓地には、四谷怪談のお岩さんの墓所、浅野家遥泉院供養塔等があり、境内には、うなぎ供養塔、魚がし供養塔、浄行菩薩等があります。
「江戸切絵図」
妙行寺は2ヶ所に描かれています。一つは天王社(現:須賀神社)の隣ですが、こちらは現地に現存する寺です。
紀伊家上屋敷(現:迎賓館)に接する「妙行寺」が移転前の寺と推察します。
鮫河橋南町は、川柳「はな散る里は吉田町鮫ケ橋」と詠まれるなど、本所吉田町とともに夜鷹(こちらで記載)が住む巣窟でした。
「江戸名所図会 鮫が橋」
江戸名所図会に「鮫が橋」(本文では鮫河橋)が描かれています。
<お岩通り商店会>
「お岩通り商店会」中、「巣鴨五丁目交差点」から脇道に入り、さくらトラム「滝野川10号踏み切り」を渡ります。
「お岩通り商店会」の街路灯が、境内の中まで続いています。
<山門前>
(寺号標)
「明治四拾弐年四谷ヨリ移轉 お岩様之寺 長徳山 妙行寺」
「大正三年四月」
(標柱)
昭和42(1967)年2月、義士会創立40周年に財団法人中央義士会により建立。
「史蹟
浅野内匠頭長直公夫人 高光院殿之墓
浅野内匠頭長矩公夫人 瑶泉院殿供養塔
浅野大學長廣公夫人 蓮光院殿之墓
浅野家歴世之墳墓數基」
<山門内>
(寺号標)
「四谷怪談 お岩様の寺 妙行寺」
「昭和廿七年四月建之」
(道標)
妙行寺これより北へ2丁(218m)とあります。
中央「四谷怪談お岩様之寺」
左 「長徳山妙行寺これより北へ二丁」
右 「明治四十二年四谷鮫ケ橋より移轉」
(移転碑)
お岩の墓と浅野家の墓を明治42年に妙行寺跡から西巣鴨に移転したことを記した大正13年7月の碑です。
<参道>
参道に井戸があります。
<魚河岸供養塔>
昭和13(1938)年5月の建立です。
「何妙法蓮華経法界萬霊」「魚がし」
<浄行菩薩>
<子育地蔵尊>
昭和35(1960)年に「東京うなぎ蒲焼商組合」「東京淡水魚組合」が建てた「うなぎ供養塔」です。
塔上の観音像は、高村光雲の原型を渡辺長男が鋳造しています。
渡辺長男は、日本橋の麒麟などの作者で、万世橋駅の軍神広瀬中佐像などGHQによる撤去命令でかなり失われています。
(表)
「慈眼視衆生 福聚海無量 施主 東京うなぎ蒲焼商組合 東京淡水魚組合
うなぎ供養塔
法華宗管長 妙行寺十九世 大僧正日勢」
(裏)
「原型者 高村光雲先生 鑄造者 渡辺長男先生
昭和三十五年五月二十日建之 石治刻」
(参考)「身延別院」(日本橋小伝馬町)には、日本橋蒲焼商組合が建てた「鰻塚」があります(こちらで記載)。
<萬霊堂>
<日蓮上人像>
<霊佛縁起之碑>
<天水桶>
大正8年10月銘の川口鋳物師による天水桶です。
「武洲川口町 山崎寅蔵製」
<本堂>
本堂左手には、「お岩尊霊」をお祀りしています。
墓地の中に赤鳥居があり、その先に案内板が設置されています。
(案内板)
「由緒
お岩様が、夫伊右衛門との折合い悪く病身となられて、その後亡くなったのが寛永十三年二月二十二日であり爾来、田宮家ではいろいろと「わざわい」が続き、菩提寺妙行寺四代目日遵上人の法華経の功徳により一切の因縁が取り除かれた。
この寺も当時四谷にあったが、明治四十二年に現在地に移転した。
お岩様に塔婆を捧げ、熱心に祈れば必ず願い事が成就すると多くの信者の語るところである。」
<浅野家の墓>
(左) 「浅野内匠頭長矩公夫人 瑶泉院殿供養塔」(瑤泉院240回忌の昭和28(1953)年に建立)
(中央)「浅野内匠頭長直公夫人 高光院殿之墓」
(右) 「浅野大学長廣公夫人 蓮光院殿之墓」
<百度石/石燈籠>
<お岩様の墓>
五重塔がお岩さんのお墓です。「得証院妙念日正大姉」とあります。