Discover 江戸旧蹟を歩く
 

 汐入

  ○ 橋場村汐入
  ○ 胡録神社
  ○ べるぽーと汐入
  ○ 南千住天然温泉
  ○ 都立汐入公園 ※別ページ



橋場村汐入(現南千住)

 汐入は戦国時代に上杉謙信の家臣だった高田氏等が入植し切り拓いた村で、橋場村字汐入(現南千住)といいました。
 砂尾堤の外側にあるこの一帯は、広範囲にわたりしばしば水害に見舞われました。
 農業と胡粉で生業を立てていました。

 汐入の砂まじりの土地が大根の栽培に適し、江戸野菜の一つである汐入大根(二年子大根)の産地でした。
 二年子大根は、晩秋に種子をまき、翌年の春に収穫します。白首の細長い小さい大根ですが、品不足の時期に珍重されました。
 (上流の荒木田では「荒木田大根j」と呼ばれました。)
 「汐入大根」は、「汐入の胡粉」と共に有名でした。
 

「道灌山下」(井上安治)

 道灌山下の光景ですが、大根を運んでいます。
 細長い大根で、汐入より荒木田がごく近くなので、荒木田大根(二年子大根)でしょう。

   
 

「武蔵百景 道灌山」(小林清親)

 同じく道灌山の光景ですが、大根を運んでいます。白首大根です。

  
 

「大根売り」

 「世渡風俗圖會」(清水晴風)に掲載の大根売りです。

  
 

<江戸絵図>

 砂尾堤と川筋が日光街道の東から総泉寺まで続いています。 
 砂尾堤の外側が汐入です。

  
 

<明治20年代の砂尾堤>

  



胡録神社(旧第六天社) 荒川区南千住8-5-6 HP

 胡録神社は、永禄4(1561)年、上杉謙信の家臣高田嘉左衛門が川中島の合戦に敗れ、12名の同士と当地へ逃れて永住、永禄4年、面足尊、惶根尊の両神を一祠に奉齋崇敬されたと伝えられます。
 古くは第六天と称しましたが、明治維新の神仏分離令の際、明治2(1869)年に、「武士が矢を支える武具を胡録と申したことと、また、当地汐入の生業として盛んであった胡粉作りの胡の字と大六天の六にあやかり、御社号を胡録神社と改称されました(神社HPより)。
 

<汐入(胡録神社)>

(説明板)

「汐入(胡録神社)
 汐入の地は、戦国時代に上杉謙信の家臣高田氏らが、川中島合戦の際に落ちのびて、開発したと伝えるところである。明治以前、「第六天」と呼ばれた胡録神社は、汐入の境である当地を守護するために祀られたという。現在残る本殿は、幕末から明治初期の様式を今に伝えている。
 明治の中頃まで胡粉の製造が盛んで、今も胡粉の製造に使用した石臼や、それを転用した石灯籠が、当社や第五瑞光小学校に残されている。昭和二十七年、胡録神社に奉納された襖絵には、山と積まれた牡蠣殻が描かれ、往時の面影をしのぶことができる。
 また、江戸時代、汐入大根(二年子大根)の産地としても知られ、千住の青物市場などに出荷されていたという。
  荒川区教育委員会」

    
 

<一之鳥居>

 平成15(2003)年9月の建立です。

     

  
 

<道祖神/刀塚>

 「道祖神・刀塚 鳥居建替え奉賛者御芳名 令和三年九月吉日」

     
 

 「明和元年甲申年九月吉日」。明和元(1764)年の手水鉢。

   
 

 「奉納」
  奉納の草鞋、草履、下駄、二個のお椀に穴をあけて奉納。

  
 

「道祖神御由緒」

(説明板)

「道祖神御由緒
御祭神 猿田彦尊
御由緒
 往古は旅行安全祈願の神様として、亦足の神様として、汐入の村落の出入口に祀られていたが、現在では、胡録神社の境内に移され祀られているのである。神代の昔 天孫降臨の砌、道案内を勤めた神様という故事により旅の安全、足の病気平癒の神様として崇められ、祈願の折は草鞋、草履を奉納して参拝する。亦耳の病気の折は二個のお椀に穴をあけて奉納するなどの風習は今でも受け継がれ守られており、最近では、道の神様でもあるという事で交通の安全を祈願する人々もおられる。」

  
 

「刀塚御由緒」

(神社HP)

「刀塚は、永禄四年八月、川中島の合戦で敗れた上杉謙信が家臣高田嘉左衛門らが落人となり、刀と鎧兜を地中深く埋め、葦が群生する汐入の地を開拓しました。後に汐入の開拓を後世に伝えるため、昭和三十四年九月、町の有志が集まり、埋地と伝承される南千住8丁目1の40番地付近に刀塚として祀りました。平成からの汐入地区再開発で、平成十二年四月、胡録神社が遷移され、同時に刀塚も境内に遷され、祀られています。」
 

<胡粉挽石臼>

 汐入では胡粉づくりが盛んに行われていました。

(説明板)

「胡粉を挽いた臼
 昔このあたりは地方橋場村小字汐入といわれ、今から一五○年〜三○○年くらい前当汐入では胡粉づくりが盛んに行われ「汐入大根」と共に有名でした。
 汐入産の胡粉は品質極上で、人形、おしろい絵具の材料、能面仕上げ、元結などに使われ“かき殻”を焼いて、この石臼で粉にし、水でさらしてから丸め、乾燥して再び微粒子にして出来上がります。
 大変な重労働でしたが、機械で作られるようになってから衰微し、今では幾つかの挽臼が汐入に残っており、これは其の内の一つです。
 <これからは胡録神社に保管します。>」

   

    
 

<手水舎> 荒川区登録文化財

 明和元(1764)年9月銘手水鉢は、荒川区登録文化財です。
 ひしゃくを使わずに、人感センサーで1人分の水が出てきます。

    
 

<神輿庫>

  
 

<獅子山>

 二之鳥居の手前に、獅子山があります。仔狛犬がいます。

    

     
 

<狛犬>

 「天保十己亥歳九月」。拝殿前の狛犬は、天保10(1839)年の造立です。

    
 

<記念碑(胡録神社御由緒)>

(碑文)

「胡録神社御由緒
 御鎮座地 東京都荒川區南千住八丁目十一番地
 御社号 胡録神社
 御祭神 面足尊 惶根尊
 御創立 享保四年九月十九日
 例祭日 六月一日 往古は九月十九日
當社は永禄四年八月四百余年前川中島の合戰の折上杉謙信の家臣高田嘉左エ門なるもの戰に敗れ計らずも集りたる十二名の同志と関東に厄難をのがれて落ちのび當地の汐入に竹内杉本杉山等數名と永住の地と定めて土着し村落生活の安寧を祈願するため守護神として享保四年九月十九日今より貮百五十余年前面足尊と惶根尊の両神を一祠に奉齊崇敬されたと傳えられる
當社は古くは大六天と稱したが明治二年太政官達により神佛分離がされた際往時武士が矢を支える武具を胡録と申した事とまた當地汐入の特業として盛んであった胡粉作の胡の字と大六天の六にあやかり御社号を胡録神社と改稱された
神殿は嘉永五年九月十九日改築造営されたるものであるが現在の拝殿の改築並に神楽殿社務所の新築造営工事は昭和貮年六月に竣工された
明治百年を奉祝いたし記念碑を建立する」

   
 

<天水桶>

 「昭和弐年六月吉日 潮入 氏子中」
 「武州川口町 「○に二」の社章 田中鋳工所製」
 川口の鋳物です。

    
 

<拝殿>

 拝殿は昭和2年(1927)6月の造営です。
 向拝部分などには龍の細かい彫刻。木鼻には獏と獅子。

     

    
 

<本殿> 荒川区登録文化財

 本殿は嘉永5(1852)年に改築造営。荒川区登録文化財です。

   
 

<鈴の音センサー>

 鈴を鳴らす鈴の緒を撤去し、手をかざすと鈴の音が鳴るセンサーがあります。
 「手をかざすと鈴の音が鳴ります」
 初めて見ました、感心しました。

   
 

<社務所>

  
 

<東参道>

     
 

<記念碑>

 天皇陛下御在位五十年の時の屋根修復記念碑。昭和51(1976)年11月の建立です。

   
 

<遷宮記念碑>

 平成15(2003)年10月の建立です。

   
 

<記念碑>

 拝殿改築等の記念碑。昭和3年6月竣工。

   
 

<神楽堂>

  
 

<神饌畑>

  
 

<北参道>

 鳥居は、平成15(2003)年5月の建立です。

     



べるぽーと汐入東館 荒川区南千住8-12-5

 「べるぽーと汐入」の壁に、かつての汐入をモチーフに子どもたちが描いた絵のパネルが取り付けられています。
 パネル絵の南端は、都立汐入公園の入口です。スカイツリーが見えます。

     
 

「胡粉用の石臼」
 胡録神社で実物を見ることができます。

  
 

「道祖神わらじ奉納」
 今もわらじが奉納されています。

  
 

「道祖神」
 新しく建て直されています。

  
 

「旧胡録神社」

  
 

「汐入の渡し」
 隅田川最後の渡し「汐入の渡し」は、千住汐入大橋の近くに昭和42(1967)年まで残っていました。

  
 

「胡粉作り」
 白い牡蛎殻が山と積まれています。

  
 

「第五瑞光小学校」
 再開発のため、廃校となっています。

  
 

「胡録神社拝殿」

  
 

「民家」

  
 

「共同水道」

  
 

「銭湯」
 煙突には「潮乃湯」とあります。
 汐入には「浩気湯」(南千住8-16-14)と「潮乃湯」(南千住8-28-6)の2軒の銭湯がありましたが、
 再開発のため平成6(1994)年に廃業しています。

  
 

「旧家の表門」

  
 

「造船所」
 大正12(1923)年創業の造船所が再開発の前まで一軒残っていました。

  



南千住天然温泉 荒川区南千住4-7-3

 賃貸マンションの「ロイヤルパークスタワー南千住」に、居住者専用の「南千住天然温泉」があります。
 当初は、住人以外も利用できる足湯がありましたが、大分前に廃止となっています。

 かつて荒川区には大正から昭和にかけて温泉リゾートの尾久温泉がありましたが、枯渇。
 南千住天千温泉は荒川区唯一の温泉です。
 他には、分析したら温泉かもしれない銭湯「帝国湯」があります。
 

<足湯跡>

    
 

<分析書>

      
 

<湧出地>

 ガスセパレーターがあります。

   


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