Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 待乳山聖天

  ○ 待乳山聖天
  ○ 待乳山聖天庭園
  ○ 待乳山聖天公園
  ○ 江戸名所図会と錦絵


○待乳山聖天公園 台東区浅草7-4-9

 待乳山聖天公園の指標が、地面に横倒しになっているのが不思議です。

    

<待乳山聖天と隅田川>

(説明板)
 「江戸時代の待乳山聖天のかいわいは、こんな楽しそうな町並みでした。
  聖天さまから見た隅田川の眺めがすばらしく、多くの画人たちが描くほどの兆望の名所でありました。
   台東区」

  

<旧浅草聖天町、浅草聖天横町>

(説明板)
「旧町名由来案内
 下町まちしるべ
 旧 浅草聖天町、浅草聖天横町

 本町の起立年代は不詳である。寛文図に「聖天丁」と記載があるので、かなり古く開かれた町である。町名は町内に待乳山聖天宮があるのにちなんだ。聖天宮の正式な名称は本龍院といい、聖天宮は聖天を安置していることによる。金龍山あるいは待乳山と号し、浅草寺の子院である。
 待乳山は隅田川西側の小丘で、江戸時代から文人墨客に愛された景勝の地であった。聖天宮はこの待乳山の上にある。
 「浅草聖天町」昭和二十三年(一九四八)に浅草山川町、同金龍山下瓦町、同山ノ宿町の北隅を合して誕生した。

 「浅草聖天横町」 浅草聖天町の西側続地であり、町の地形から横町とつけられた。起立年代は分からないが浅草聖天町よりやや遅れてできたのであろう明治五年(一八七二)、浅草寺子院の遍照院を合併して町域を広げた。
  台東区」

  

池波正太郎生誕の地>

(説明板)
「池波正太郎生誕の地
 作家・池波正太郎(1923〜1990)は、大正12年、旧東京市浅草区聖天町61番地に生まれました。
 この年の9月に関東大震災が起こり、生家は焼失してしまいましたが、その後も少年期・青年期を台東区で暮らしました。
 昭和35(1960)年「錯乱」で直木賞を受賞し、「鬼平犯科帳」「剣客商売」「仕掛人・藤枝梅安」などの人気シリーズをはじめ、時代小説の傑作をつぎつぎと生み出し、このあたりも度々舞台として描いています。
 「大川と待乳山聖天宮」というエッセイでは、「生家は跡形もないが、大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は私の心のふるさとのようなものだ」と記しています。生家は、待乳山聖天公園の南側(現台東区浅草7丁目3番付近)にありました。
  平成19年11月  台東区」

    

<震災供養碑>

 天台座主大僧正による揮毫。戦前は境内地にありました。
 毎年9月1日に待乳山聖天によって、慰霊法要が行われています。

   


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