○ 待乳山聖天
○ 待乳山聖天庭園
○ 待乳山聖天公園
○ 江戸名所図会と錦絵
「江戸名所図会 真土山聖天宮」
挿絵「あはれとは夕越えて行く人も見よ待乳の山に残す言の葉 戸田茂睡」
挿絵左には「山谷通り」とあります。当時の日光街道(現・吉野通り)です。
本堂向かって左に「銅造り宝筐印塔」が見え、向かって右に「茂睡碑」とあります。
別当部分を拡大しています。現在の庭園の敷石の配置が同じです。
本来は繋がっていない2枚の挿絵を無理矢理合成しています。山谷堀との位置関係がよくわかります。
「江戸名所花暦 真乳山」(岡山鳥/長谷川雪旦画)
待乳山は月見の名所でした。浅草川(隅田川)の水面に映る中秋の名月が見えます。
江戸名所花暦では、三派と浅草川を本文で最初に取り上げています。
「江戸名所花暦 隅田川の雪」(岡山鳥/長谷川雪旦画)
竹屋の渡しの渡し船でしょうか、真乳山に向かっています。
左手遠景の隅田川下流に吾妻橋が見えます。
「東都隅田川両岸一覧 西」(鶴岡蘆水 天明1(1781)年)
[東都隅田川両岸一覧」は、鶴岡蘆水の作品で、隅田川両岸の連続絵巻となっています。
「金龍山聖天宮」部分の抜粋です。
山谷堀の奥に「新吉原」、隅田川に「此舟場吉原舟上りバ大さんばしといふ」
桟橋の左奥に「竹家舟宿」の記載が見えます。
「絵本江戸土産 隅田川 真乳山の夕景」(広重)
真乳山と山谷堀です。
「絵本江戸錦 三囲 待乳山」(豊春)
手前に今戸橋と待乳山、向岸に三囲の鳥居が見えます。
「名所江戸百景 真乳山山谷堀夜景」(広重)
向岸に真乳山と山谷堀が描かれているので、手前は三囲の土手でしょう。
向岸は料亭船宿の明かり、手前の墨堤を提灯に導かれる芸妓が描かれています。
「江戸名所道戯尽 八 隅田堤の弥生」(歌川広景)
向岸に、待乳山と今戸橋、山谷堀が見えます。広重の真乳山山谷堀夜景の昼のドタバタバージョンですね。
向島の茶屋では縁台の足が折れて、大変な状況に。女性のキセルと煙草入れが地面に転がっています。
曳舟の場面でもキセルが出てきますが、広景はヘビースモーカーだったのかな。
「東京名所三十六戯撰 隅田川」(昇齋一景)
向岸に、今戸橋、山谷堀が見えます。広重の真乳山山谷堀夜景のドタバタバージョンですね。
「隅田川夜」(小林清親)
広重の名所百景を連想させる小林清親の光線画です。
向岸の今戸橋両脇の料亭船宿の明かりが隅田川に映えています。
その後ろに、待乳山と慶養寺の木々。
手前の墨堤にはシルエットの男女、スティックを持った男の提灯が光を放っています。
「竹ヤー」の声が美しい女将の茶屋が傍にある場所です。
タイトルは隅田川夜で場所は明示されていませんが、イメージは勝手に拡がります。
「東京名所 待乳山夕景」(井上安治)
向岸を拡大したところを描いています。
「東京名所真景之内 如月待乳山雪のたそがれ」(小林清親)
「東都名所 真土山之図」(広重)
向島側から隅田川、真土山、今戸橋、山谷堀を見たところで、真土山に天狗坂が見えます。
右に描かれている建物は慶養寺でしょうか。
「江戸名勝図会 真乳山」(広重)
真乳山と、今戸橋、山谷堀が描かれています。
「東都三十六景 今戸橋真乳山」(広重)
雪の真乳山と今戸橋・山谷堀です。
「大日本六十余州名勝図会 六十余州名所図会 武蔵 隅田川雪の朝」(広重)
近景に待乳山と山谷堀が見えます。
待乳山から今戸橋を渡ったところにある料理屋は、玉庄でしょうか。
「江戸高名会亭尽 今戸橋之図 玉庄」(広重)
有名な料理屋だった「玉庄」が描かれています。
現在は隅田公園内の野球場です。
「江戸名所八景 晴嵐(待乳山)」(長喜)
待乳山の境内と拝殿が描かれています。
「画本東都遊 待乳山」(北斎)
葛飾北斎らしく、待乳山の遠景に富士山が見えます。
「絵本隅田川両岸一覧 待乳山の紅葉」(北斎)
葛飾北斎の終焉の地は、待乳山聖天のある聖天町でした。
目の前なので何度も行っていると想像します。
待乳山周辺を含めた隅田川右岸の図を連結しています。
「風流浮絵聖天之図」(豊国)
参道と境内・社殿、隅田川が描かれています。
参道石階を上がったところに、鳥居が描かれている絵とないものが混在していますが、こちらは鳥居は見えません。
「富士筑波隅田川の図 真乳山望冨岳」(旦霞)
富士山がやけに大きいです。
「東京名所写真帖 待乳山」(明治33(1900)年)/「旅の家つと 第29 都の巻」(明治35(1902)年)
「最新東京名所写真帖 隅田川の桜」(小島又市 明42(1909)年)
明治時代の、待乳山対岸の向島の渡し場を含む隅田川の桜の写真です。