Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 北千住駅

  ○ 千住宿模型
    ・千住宿の成立と機能
    ・流通都市千住宿
    ・送迎の地
  ○ 乾杯
  ○ わんさ君とJUJUちゃん
  ○ 北千住駅
    ・自動販売機型SL大樹
    ・おくのほそ道顔出しパネル
    ・1010銭湯コーナー


千住宿模型 足立区千住3-92 千住ミルディスI番館10階

 ミルディスI番館(北千住マルイ)10階の、「シアター1010」と「足立区役所千住区民事務所」があるフロアーに、「千住宿」の1/50模型があります。
 模型を照らす照明が節電で消灯していて、暗くて見にくいです。

   

 千住宿の南北2800メートルのうち、千住一丁目と掃部宿の一部、300メートルが復元されています。
 問屋場・貫目改所、一里塚、高札場、飛脚宿も復元されています。
 街道に沿った問屋・商店は、間口が狭く、奥行きが長い鰻の寝床です。

    

<高札場/一里塚/千住小橋/掃部堤>

    

<貫目改所>

   

<湯屋>

 湯屋も精巧に造られています。(参考:江戸の湯屋

   


○千住宿模型の説明板

「千住宿模型(1/50縮尺)
 文化3年(1808)の「日光道中分間延絵図」(東京国立博物館蔵)をはじめとする参考資料を元に作成した江戸時代後期、19世紀初めの街並みの一部である。昭和61年(1986)に足立区郷土博物館千住町並調査団が作成、同年から平成21(2009)年まで同館の常設展示資料だった。」

  

「模型の復元範囲
 宿場の実距離は南北約2800m、東西約300mで、南北に通る日光道中沿いに細長い形をしていた。宿場全体の約1/9、千住一丁目と千住掃部宿の各一部300mを復元した。」

  

  

「問屋場周辺の街並み
  千住一丁目と掃部宿の各一部
 千住一丁目には問屋場・貫目改所、馬寄場など宿場の機能をになう重要な施設があった。一里塚も千住小橋の脇にある。なお大名などの宿泊にあてられた本陣は千住三丁目にあり、復元模型には含まれていない。」

  

  

「■問屋場と貫目改所
 問屋場は宿場の管理が行なわれた場所で、元禄8(1695)年に千住一丁目に設置されました。
 貫目改所は荷物の公定重量を守らせるための重量検査所で、安保3(1743)年に幕府が設置しました。

「■高札場と一里塚
 高札場は千住小橋の南西にあり荷物の公定重量や運賃、切支丹禁制などの高札がありました。
 一里塚は一里(約4km)ごとに築かれた塚で、千住小橋にあり榎が植えられていました。」
 川に千住小橋が架けてあり、榎木が植えてあるところが一里塚です。

「■街道沿いの街並み
 千住宿は農村の境界に位地したことから、町屋風の瓦葺きの建物と農家風の茅葺きの建物が混在していました。」

「■商店の蔵
 千住宿の特徴は問屋や商店が多いことで、模型でも多くの商店や取引物資などを保管する蔵が立ち並んでいます。」

  


千住宿の成立と機能>

(説明板)
「千住宿の成立と機能
千住宿は江戸日本橋から2里8町(約9km)の場所にある日光道中・奥州道中の最初の宿場です。寛永2(1625)年に江戸と日光を結ぶ日光道中の整備の一環として、短冊形の地割を行い、周辺の家々を集めて建設されました。当初の宿場の範囲は千住一丁目から五丁目でした。その後、交通量の増大に伴って万治元(1658)年に掃部宿(現千住仲町)・河原町・橋戸町が、同3(1660)年には千住大橋を越えて小塚原町・中村町(いずれも現荒川区南千住)が千住宿に加えられました。宿場の機能は @次の宿場までの荷物や人の運搬(人馬継立)A本陣や旅籠などの宿泊施設の設置 B書状の伝達がありました。日光道中の初宿であった千住宿はこれらのほかにも宿場組合の取締役を務めたり、荷物の重量が公定通りであるか検査する貫目改所も設置されたりしました。」

   

「■千住宿を構成した町
 天保15(1844)年の記録によれば宿場の町並みは22町19間余(約2.4km)続いていました。」

  

「■伝馬割図
 千住宿では人馬継立のために馬50疋・人足50人が用意され、老中や同注奉行などの証文があったときに無料で提供されました。人馬を用意する家々を伝馬屋敷といい、街道に面した土地の間口に応じて割り振られました。当初は人足・馬を用意しましたが、後には金銭で負担するようになりました。」

「■地租改正地引絵図(明治10年・1877)
 日光道中に面した間口が狭く、奥行きが長い短冊形の土地が並んでいます。日光道中が一番高く、東西に流れる水路に向かって緩やかに傾斜しています。」

「■日光御街道千住宿日本無類楠橋杭之風景本願寺行粧之図(慶應元・1865年 橋本貞秀画」
 徳川家康の250回忌に法会のために日光へと向かう東本門寺門跡(皇族)の一行が、千住大橋を渡っているところを描いています。

「■東講商人鑑(安政2・1855年)

   

流通都市千住宿>

(説明板)
「流通都市千住宿
千住宿は日光道中などの陸上輸送と荒川(現隅田川)の水上輸送の接点に位地し、宿場としてだけではなく流通の町としても賑わいました。このため江戸四宿(日光道中千住宿・東海道品川宿・中山道板橋宿・甲州道中内藤新宿)の中で最も多い人口(約1万人)を数えるようになりました。橋戸町の河岸には荒川を行き来する船が発着し、食品や肥料、燃料、陶器、木材などが運ばれました。これらの産物は、千住宿の問屋や商店から江戸などへ送られました。逆に江戸から他地域へ送られる産物も集散しました。宿場にはさまざまな問屋・商店が軒を連ねていました。中でも米穀・前栽・川魚の三つの問屋は、享保20(1735)年に御用市場となり、江戸城に品物を納めるようになりました。また、野菜などを扱った前栽問屋(青物問屋)は神田・駒込とともに江戸の三大青物市場といわれました。」

  


伊能忠敬と千住宿」

 伊能忠敬の第1次測量は蝦夷地への測量で、往復3,200キロメートル、180日間の行程でした。
 寛政12(1800)年4月19日深川黒江町を出発、富岡八幡宮に参拝後、天文方暦局に立ち寄り、千住宿で親戚や知人の見送りを受けました。

(説明板)
「■送迎の地
 参勤交代や庶民の旅行でも千住は江戸からの出発と到着に際して送迎が行われる場として機能した。伊能忠敬の測量旅行の際、千住で送迎が行われたのも一例である。」

  

 (参考:伊能忠敬

「巣兆筆 芭蕉像」

 巣兆筆「芭蕉像」が掲げられています。
 巣兆については、こちらで記載

  


乾杯 足立区千住2-60

 北千住駅西口にある、宮田亮平(東藝大)のイルカのオブジェ「乾杯」です。
 平成16(2004)年2月の設置です。

 「製作 足立区
  企画 公益財団法人 日本交通文化協会」

     

 作品データ→日本交通文化協会サイト
 東京メトロ上野駅のステンドグラス「上野今昔物語」も同氏の作品です(こちらで記載)。


わんさ君とJUJUちゃん 足立区千住2-59

 きたろーど1010のマスコットキャラクター「わんさ君」と「JUJUちゃん」がトランペットを吹いています。

  

<きたろーど1010> 足立区千住2丁目・3丁目

 フラッグには、赤門寺の閻魔さま、わんさくん、松尾芭蕉、銭湯、旧家、蔵、神社が描かれています。

    


北千住駅 足立区千住2丁目

    

○自動販売機型SL大樹 東武北千住駅構内

 SL大樹をモチーフにした清涼飲料の自販機です。
 SL大樹の後ろ姿も描かれています。

 「SL大樹 東武鬼怒川線
  下今市駅〜鬼怒川温泉駅 SINCE1017」

 東武北千住駅の北口改札内先にあります。

   

 中央改札内先には顔だしパネル「おくのほそ道」があります。

  

○1010銭湯コーナー JR北千住駅構内

 北千住駅(JR東日本)の南口改札内に「1010銭湯コーナー」が設置されています。

 「北千住駅 JR東日本
  1010(センジュ)銭湯コーナー」

 タカラ湯の入口を模した看板が置かれています。
 北千住にある6軒の銭湯も紹介されています。
 「銭湯といえが足立」の最新号が置かれています。

    

(参考)「タカラ湯」こちらで記載

   

(参考)「金の結湯」こちらで記載

   


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