Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 ○亀戸浅間神社
 ○亀戸の富士塚


○亀戸浅間神社 江東区亀戸9-15-7 HP

<一の鳥居/社号標>

 鳥居と、社号標「亀戸鎮座 淺間神社」です。

     

<六つ目地蔵尊>

 脇門を入った右手に「六つ目地蔵尊」があり、小屋に8基の供養塔が納められています。

    

(掲示)
 「有形民俗文化財
  庚申塔    元禄十年(一六九七)在銘
  法華経供養塔 元禄十四年(一七○一)在銘
  供養塔(破損仏)伝馬頭観音
  地蔵供養塔  天明二年(一七八二)在銘
  地蔵供養塔  当社庵主 一量在銘
  地蔵供養塔
  観音供養塔  安永八年(一七七九)在銘
  如意輪観音供養塔」

  

 一番左の如意輪観音〜一番右の庚申塔

     

     

<竪川と六ツ目と地蔵尊>

 平成五年八月の崇敬会による掲示があります。

  

<石造鳥居>

 六ツ目地蔵尊の脇に建っている鳥居です。

 「有形文化財(建造物)
  石造鳥居
  昭和三年(一八二九)在銘
  六之橋若者中(青年団)奉納」

  

<亀戸浅間神社>

(説明板)
「亀戸浅間神社
 亀戸浅間神社は、社伝によれば大永七年(一五二七)に創建されました。祭神は木花咲耶比売命です。もともとこの辺りの地は高貝洲と呼ばれていました。これは日本武尊が東征した時に海が荒れ狂ったため、弟橘媛が海に身を投じその際に身につけていた笄が亀戸浅間神社のあるあたりに流れ着いたことによるものです。のちに景行天皇(第十二代と伝えられる)がその地に笄塚を建てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました(境内「亀戸の富士塚」文化財説明板を参照)。
 本殿は安政二年(一八五五)の江戸大地震、大正一二年(一九二三)の関東大震災で被災しました。現在の本殿は昭和初年に建立されたもので、平成一○年(一九九八)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動しています。境内には亀戸の富士塚や享和元年(一八○一)在銘の富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道道標(いずれも区指定有形文化財)など数多くの文化財が残されています。また、かつて神社境内のそばを通っていた城東電気軌道の線路も残され、関東最大の茅の輪を作る(茅の輪くぐり)神事が年二回行われるなど、亀戸東部地域の歴史や民俗を伝える鎮守として、人々の信仰をあつめています。」

  

<身禄(みろく)歌碑>

 鳥居をくぐって右手に「身禄歌碑」があります。

    

<富士講石碑>

 身禄歌碑の隣の石碑です。
 「不ニ」の文字が見えます。

  

<水盤>

 正面に富士山が彫られ、その中央に「玉」と刻まれています。

 「有形民俗文化財
  水盤(みいばん)
  寛政七年(一七九五)在銘」

    

<石鳥居と境内社>

 「有形文化財(建造物)
  石造鳥居
  大正七年(一九一八)在銘」

   

 「稲荷神社」

  

 「下浅間神社(しもせんげん)」

  

富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道道標>

 正面
 「是より右
   冨士せんげん
   亀戸天神   道
   六阿ミだ
   あさくさ」

    

(説明板)
「江東区指定有形民族文化財
 富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道
 道標 享和元年在銘
  亀戸九ー一五ー七 浅間神社
  平成二人年三月二六日 指定
 この道標は、浅間神社、亀戸天神社、常光寺(六阿弥陀)、浅草へ至る道しるべです。享和元年(一八○一)一○月、良歓が願主となり、本所六ツ目の地蔵講中が建てました。堅川沿いの佐倉街道と、浅間神社に至る道との分岐点に、正面を東に向けて建っていたと推測されます。
 当時の絵図に見られるように、浅間神社から北西方向に道なりに進むと水神社に行き当たり、左手に折れると亀戸天神社へ、右手に折れると常光寺に至ります。浅草へは、常光寺から北十間川沿いの道を辿ったものと思われます。
 道標は角柱型で、頂部は若干盛り上がっています。正面の縁・両側面・背面はノミ切り仕上げで、一定の幅でノミ筋を残しています。正面中央は一段低く彫り、表面を砥石による磨き仕上げとして、銘を刻んでいます。
 道標は、浅間神社ほかへの江戸時代以来の古い参詣道を示すとともに、江東区域の名所を表示するものとしても貴重な石造物です。また、近代以降、道の改変が行なわれていることから、江戸時代以来の古道を確認するための手がかりを与えてくれる、地域の資料として重要なものです。
  平成二三年一月  江東区教育委員会」
 (天明元年(1781)「本所・深川割絵図」を掲示)

    

<ご案内図「亀戸あさくさ古道」を訪ねて>

  

<社務所>

  

<神輿倉>

 「有形文化財(工芸品)
  神輿 一基」

   

<石造燈籠>

 「有形文化財(建造物)
  石造燈籠 一対
  大正八年(一九一九)在銘」

<修庭記碑>

 「有形文化財(歴史資料) 
  修庭記碑 一基
  大正八年(一九一九)在銘」

    

<拝殿>

 昭和9(1934)年に再建された木造社殿が平成10(1998)年に富士塚から移築されています。

   

    

<天水桶>

 「有形文化財
  天水桶 一対 
  明治三十三年(一九○○)在銘」

 釜七製の天水桶です。

    

【社殿左の石碑群】

(説明板)
「城東電車は
 大正2年 城東電気軌道株式会社設立
 大正6年 錦糸町・西荒川間開通
 昭和17年 市営となる
 昭和18年 都制施行とともに都電となる
 昭和43年まで浅間神社前を走っていました
  大正時代に作られたイギリス製のレールです
  亀戸9丁目町会より寄贈されました
  平成11年3月20日」

  

「おのりは おはやく 動きます チンチン!!」

  

「城東電車のレール」

 イギリス製のレールということですが、新日本製鉄(旧八幡製鉄所)の社章「マルエス」が記されています。

    

   

「有形文化財(建造物)
 石造燈籠 一対」
 大正八年(一九一九)在銘」

  

「有形文化財(歴史資料)
 敷石及修繕費奉納碑 一基
 大正五年(一九一六)在銘」

  

「誓忠碑」
 昭和7年1月4日建立。

   

「有形文化財(歴史資料)
 紀念碑建設費奉納碑 一基
 大正八年(一八一九)在銘」

   

「有形文化財(建造物)
 石造灯籠 一対
 二十六夜同行奉納」
 文政8年の奉納です。

    

「樹木各種奉納碑」

  

「敷石七牧碑」

  

「不詳の碑」

  

「有形文化財(歴史資料)
 新築木材一式奉納碑 一基
 明治十一年(一八七八)在銘」

  

「左官工手間一式碑」

  


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