○ 芥川龍之介生誕の地 (中央区明石町)
○ 芥川龍之介生育の地 (墨田区両国)
○ 芥川龍之介文学碑 (墨田区両国)
○ 内藤新宿の牧場と芥川龍之介(新宿区内藤新宿)
○ 与楽寺坂 (北区田端)
○ 芥川荘/芥川龍之介文学碑(千葉県一宮町)
○ 芥川龍之介の墓 (豊島区巣鴨
慈眼寺)
「芥川龍之介肖像」(国立国会図書館「近代日本人の肖像」より)
明治25(1892)年3月1日〜昭和2(1927)年7月24日
大正4(1915)年末頃より夏目漱石に師事する。大正5(1916)年東京帝大在学中に発表した『鼻』が漱石に評価され、文壇で認められる契機となる。
卒業後、海軍機関学校の嘱託教官として英語を教える傍ら、『芋粥』(1916)、第一短編集『羅生門』(1917)、『奉教人の死』(1918)などを発表。
大正8(1919)年海軍機関学校を辞職、大阪毎日新聞社社員として文筆活動に専念する。
昭和2(1927)年睡眠薬を飲んで自殺、世間に衝撃を与えた。芥川也寸志、比呂志の父。
(現地説明板及び路上タイル)