鷲谷山常楽院真福寺と号します。
弥五郎新田(足立区日ノ出町)に創建され、安養院(こちらで記載)の歴代住職の隠居寺でした。
荒川放水路開削のため大正元(1912)年8月に移転命令を受けて、現在地に至ります。
寺前は首都高速と千住新橋ランプ、寺横は国道四号線の千住新橋の高架橋に挟まれ交通量の多い中、
寺中は周囲の喧騒とはうってかわって、鶏が歩いているなど静寂な寺中です。
荒川辺八十八ヶ所霊場第49番札所、荒綾八十八ヶ所霊場第29番札所です。
<移転記念碑>
石門柱から入って、左手に移転記念碑があります。
創建地の弥五郎新田から、荒川開削工事のため大正元(1912)年8月に移転命令を受けての経緯が刻まれています。
「移転紀念之碑」
<札所碑>
山門脇に並ぶ4基の石塔の右端に、荒綾88ヶ所霊場第29番の札所碑があります。
(正面)
「荒綾瀬八十八ヶ所第廿九番眞福寺
千住三軒家
是ヨリ□□光輪寺へ十五丁」
(右側面)
「大正十五年六月
功徳主両河員
南綾瀬村小菅
吉澤角右エ門」
<庚申塔/馬頭観音>
左端の正徳3(1713)年銘の庚申塔です。線香台にも三猿が陽刻されています。
中央の享保4(1719)年銘の庚申塔です。
右端の天保3年(1832)銘の馬頭観音です。
<山門>
<六地蔵>
本堂手前、休息所の前に六地蔵が並んでいます。
年代はバラバラですが、童子・童女の戒名が多く刻まれています。
<五重塔>
<弘法大師像>
<庫裡>
鶏小屋があります。鶏は神社の横で四羽ほど散歩をしていました。
散歩する鶏を見て、浅草寺の鶏のことを思い出しました。
江戸時代、大鷲神社(当時は鷲大明神祭社)では、酉の市に鶏を奉納して祭が終わると浅草寺観音堂の前に放つ習慣がありました。
また、江戸の人々は卵を産まなくなった鶏を浅草寺の境内に放しに行きました。
そんなわけで浅草寺境内は、鶏が歩き回り、夜はイチョウの枝にとまって寝ていました。
「驚かぬ鶏ハ群衆の中を行」など川柳にも多くうたわれました。
江戸名所図会や浮世絵にも鶏が描かれています(こちらで記載)。
こちらは、久伊豆神社(岩槻)で見た鶏の放し飼いです。鶏を飼っている神社は珍しくないようです。
<本堂>
本堂上からの景観は、首都高速と荒川土手、千住新橋です。
<不詳の神社>
ラブホテルと共用の駐車場のある裏通りに面した裏門から入ってすぐに、
文字が読み取れず手掛かりのなかった神社があります。
【墓地】
墓地側の入口には「乾門」があります。
<西側のお堂>
<無縁塔>
阿弥陀如来が座しています。無縁塔内には多くの地蔵尊が祀られています。
無縁墓石の他にも、庚申塔などがあります。
荒川開削のために移転を経ていますが古いものも多く保存されています。
<庚申塔>
無縁墓石が並ぶ中に、寛文9(1669)年銘の地蔵尊を主尊とする庚申塔があります。
「奉造立庚申供養二世安樂之攸」とあります。