○ 龍門橋碑
○ 生誕(朝倉文夫)
○ 緑のパンダ像(トピアリー)
○ かなりや歌碑
○ 駅伝の碑(駅伝発祥の地)
○ 鑑真像
○ 鳥たちの時間
○ 上野不忍池競馬 別頁
上野恩賜公園内の下町風俗資料館に近い植え込みの中に、石碑「龍門橋」があります。
「上野公園之図」(東京案内 明治40(1907)年)
地図を見ると、不忍池から忍川へ流れ出す水路に「龍門橋」が架かっています。
○「旧町名由来案内 下町まちしるべ 旧上野恩賜公園」 台東区上野公園2-1
上野公園は広いですからね、旧町名由来案内が龍門橋碑の正面にもありました。
昭和39(1964)年、生誕噴水塔建設。
平成13(2001)年、地下駐車場の整備に伴い撤去。
(説明板)
「「生誕」は、新生日本で立ち上がる若人を釈迦誕生のポーズに重ねた作品で、永らく上野公園入口前で生誕噴水塔の象徴として上野の街並みに潤いを与え、多くの人々に親しまれてきた。
生誕噴水塔は昭和39年(1964年)のオリンピック東京大会を機に、地元有志で結成された上野美化促進会による都市の美化と戦後復興を祈念して建設された後、円滑な交通の確保等に向けた上野中央通り地下駐車場の整備に伴い撤去された。
再び東京でオリンピック・パラリンピック競技大会を迎えるにあたり、不忍池を臨むこの地で「生誕」を継承し、昭和と令和の東京大会の象徴として、とこしへに輝き続けることを祈念する。
令和2年(2020年)7月15日 台東区」
令和2(2020)年7月15日、現在地に除幕(再設置)されました。
かつて生誕噴水塔があった場所には、緑のパンダ像が設置されています。
平成24(2012)年に緑の国体の会場が上野公園だったことをきっかけに、商店会で歩道を緑化する計画が持ち上がり、
「上野動物園のパンダが街へ逃げ出した」というコンセプトで、パンダをモチーフとしたトピアリーが設置されました。
(上野案内所サイトを参照しました。)
左に父パンダ、右に母パンダと子パンダのファミリーです。
2011年にリーリーとシンシンが上野動物園に来ています。母パンダの肩に乗っているのはシャンシャンですかね。
「かなりや」歌碑は、不忍池弁天島への天龍橋手前にある歌碑で、
昭和35(1960)年に「西條八十会」によって建立されました。
碑面には忘れた唄を思い出す「かなりや」の4番の歌詞が自筆で刻まれています。
(碑文)
「うたをわすれた
かなりやは
ざうげのふねに
ぎんのかい
つきよのうみに
うかべれば
わすれたうたを
おもひだす
西条八十」
西條八十といえば「ぼくの帽子」が浮かびます。
「母さん僕のあの帽子どうしたでせうね?
ええ、夏碓氷から霧積へ行くみちで、渓谷へ落とした、あの麦わら帽子ですよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。」
画像は、霧積温泉の金湯館の看板です。
(参考)
「西條八十記念碑」(新宿駅東口駅前広場)
(碑文)
「駅伝の碑
駅伝の歴史ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、
奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が
大正六(一九一七)年四月二十七日、二十八日、二十九日の
三日間にわたり開催された。
スタートは、京都・三条大橋、
ゴールは、ここ
東京・上野不忍池の
博覧会正面玄関であった。」
中国北京市にある中国美術館呉為山館長から東京都に寄贈された呉為山氏制作の鑑真像です。
令和4(2022)年7月20日に除幕式が行われています。
「鑒真像
「鑑真像」688年ー763年」
「呉為山 2022年立」
「鳥たちの時間
2010
池田政治」
「ここ不忍池は、古くから名勝の地として知られ、その起源は縄文の時代まで遡ります。
対岸の弁天堂や上野の山の木々の後方には、東京スカイツリーも望むことができます。
また、当地を目指して、多くの鳥たちも飛来してきます。
四季を通じて美しいこの環境が、末永く守られ続けていくことを願っています。」
「寄贈 台東区商店街連合会 2012年」