神田明神の裏手にある「妻恋神社」です。
妻恋神社の横は妻恋坂で、妻恋坂に面して鳥居があります。
鳥居の扁額は「妻戀神社」です。
東へ100mほど行くと、歌川広景が「江戸名所道外尽
妻恋こみ坂の景」で描いた芥坂(ごみざか)(立爪坂)があります。
googleマップを見ると、史跡「立爪坂」と表示されますが、説明板などはありません。(こちらで記載)
「江戸名所図会 妻恋明神社」
江戸名所図会に妻恋明神社が描かれています。
「江戸名所百人美女 妻恋稲荷」(豊国・国久)
「江戸切絵図」
神田明神社の裏に、「ツマコヒサカ」「妻戀稲荷」「立爪サカ」が見えます。
「妻戀神社 東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖」(東京市公園課 大正12年)
<妻恋神社>
(説明板)
「妻恋神社 湯島3-2-6
祭神は、倉稲魂命・日本武尊・弟橘媛命の三柱である。
江戸時代に当社に伝わった縁起によると、その昔、日本武尊が東征の折、この地へきて倉稲魂神(稲荷神)を祀ったことを起源であるとする。また、日本武尊が三浦半島から房総へ渡る時、大暴風雨に遭い、妃の弟橘媛命が身を海に投げて海神を鎮め、一行を救ったことから、妃を船魂神(海神)として当社に祀ったという。
江戸時代、当社は正一位妻恋稲荷大明神と呼ばれ、多くの参詣人を集めた。また、関東近辺のひとびとの求めに応じて各地に稲荷社を分霊したり、「野狐退散」の祈祷などをおこなったりした。当社は、関東総司とも称したほか、江戸時代後期に作られた「稲荷番付」では行司の筆頭にあり、江戸にあった多くの稲荷社の中でも特別な地位に位置付けられ、高い社格を有した。
文教区教育委員会 平成27年3月」
<社号標>
社号標は「関東總司 妻戀神社」。
<妻恋稲荷>
妻恋稲荷神社は、関東総司・妻恋稲荷として有名で、王子稲荷と並んで多くの参詣者を集めたといいます。
<馬頭観世音>
<水子地蔵>
社殿の脇奥に「水子地蔵」。
<手水鉢>
<拝殿>
<社務所>