○ 江戸見坂
・中国同盟会発祥の地
・東京経済大学発祥の地
○ 汐見坂
○ 霊南坂
○ 霊南坂教会(赤坂)
○ オークラ庭園
○ 大倉集古館
○ オークラロビー展示
(参考)
大倉喜八郎像(帝国ホテル)
大倉喜八郎墓(護国寺)
傾斜が急な坂です。坂に沿って港区立江戸見坂公園があります。
坂上の西側にオークラ東京があり、坂上に「中国同盟会発祥の地」碑があります。
坂下西側には「東京経済大学発祥の地」碑があります。
木標柱が坂上と坂下に設置されています。
(標柱)
「江戸見坂 EDOMI ZAKA
えどみざか 江戸の中心部に市街がひらけて以来、その大半を眺望することができたのに名づけられた坂である。
平成二十三年一月 港区」
坂上
坂下
<江戸見坂公園案内板> 港区虎ノ門2-10-2
「江戸切絵図」
江戸見坂と虎の門辺りの抜粋です。
「絵本江戸土産 江戸見坂」(広重)
挿絵には「江都第一の岳にしてここへ登れば江戸中一眼に見するゆえこの名ありとぞ」とあります。
「東都坂尽 江戸見坂之図」(広重)
坂上に「玉や」の番傘のさぼん玉売りがシャボン玉を吹き上げ、子どもたちが見ています。
二人連れが笠を尻に敷いて江戸の眺めを楽しんでいます。
棒手振りがラッパを吹きながら坂を上っています。
「新撰東京名勝画譜 江戸見坂」(尾形月耕画 東陽堂 明治41年)
明治時代の江戸見坂が描かれて、大倉邸が見えます。
(解説文)
「江戸見坂
赤坂區溜池葵町の南を東に下る坂あり、江戸見坂といふ、市中を瞰下し、眺望佳絶なり、坂名は昔時江戸中を見晴らせしかば、斯く呼ぶとぞ、圖中左にあるは大倉邸にして、搭状の建築物は其の美術館なり。」
1905年、大倉喜八郎邸(現ホテルオークラ東京)で孫文を総理とする中国同盟会が結成され、これが辛亥革命(1911年)に繋がりました。
中国同盟会の結成大会が開かれた場所は坂本邸とされ、その場所は長く謎でしたが、大倉喜八郎の邸宅内の洋館が貸し出されていたことが判明しました。
「The Okura Tokyo」(オークラ東京)の再開業と合わせて、江戸見坂上に令和元(2019)年8月「中国同盟会発祥の地」の碑が建てられました。
ツアーのコースに組まれているようで、中国語を話す団体が碑に見入ったり記念写真を撮ったりしていました。
人気スポットのようです。
「中国同盟会発祥の地」
「建立 株式会社ホテルオークラ
協賛 中央建物株式会社
大成建設株式会社
公益財団法人大倉文化財団
監修 公益財団法人孫中山記念会
2019年(令和元年)8月吉日」
(説明板)
「中国同盟会発祥の地
1905年8月20日大倉喜八郎邸すなわち此地、現ホテルオークラにおいて、孫文を総理とする中国同盟会が結成された。その後、中国同盟会が母体となった辛亥革命により、1912年、アジア史上初の共和国家、中華民国が誕生した。その意義を称え、同時に末永い日中友好を期して記念碑を建立する。
一九零五年八月二十日,中國同盟會以孫中山為總理在此地,即存在於大倉東京飯店原址的大倉喜八郎的私宅宣告成立。其後,由中國同盟會發起的辛亥革命在中國成功,於是中華民國做為亞洲歴史上第一個共和國家誕生了。為留下紀念,並祝願目中兩國世世代代友好,特立此碑。」
(参考)
「孫文肖像」(孫文先生東游紀念写真帖 日華新報社 大正2年 国立国会図書館蔵)
1866年11月12日〜1925年3月12日
「孫文先生座石の碑」(白山神社)
「山田良政君碑」(全生庵)
「維新號」(孫文、蒋介石、周恩来、魯迅が通った食堂)
明治33(1900)年、大倉喜八郎は赤坂葵町(現:「オークラ東京」隣接地)に大倉商業学校を創設しました。
(碑文)
「東京経済大学発祥の地
1900年 この地に大倉商業学校開校
1920年 大倉高等商業学校となる
1945年 戦災により校舎焼失
1946年 国分寺市(当寺国分寺町)へ移転
1949年 東京経済大学となる
1990年10月 東京経済大学」
「汐見坂」は、アメリカ大使館前から、ホテルオークラ庭園と虎の門病院の間を下る坂です。
霊南坂の坂下が、汐見坂の坂上となります。
「江戸名所図会 溜池」
挿絵の手前に「潮見坂」、左に「霊南坂」が見えます。
坂の北側を溜池を水源とする桜川が流れています。この後、三斉小路に沿った後、愛宕下通りで南に流れを変えます。
「江戸切絵図」
「大和守」上屋敷(現:ホテルオークラ)を囲んで、汐見坂、霊南坂、江戸見坂とあります。
汐見坂は、「大和守」上屋敷の表門がこの坂に面していたので、大和坂ともいいました。
<現在の汐見坂>
(標柱)
「汐見坂
しおみざか
江戸時代中期以前には,海が眺望できた坂である。南側に松平大和守(幕末には川越藩)邸があって、大和坂ともいった。
平成二十年六月」
坂上
坂下
虎の門病院
港区虎ノ門二丁目(ホテルオークラ庭園)と赤坂一丁目(米国大使館)の間の坂です。
(標柱)
「霊南坂 REINAN ZAKA れいなんざか
江戸時代のはじめ高輪の東禅寺が嶺南庵としてここにあり、開山嶺南和尚の名をとったが、いつしか嶺が霊となった。」
平成三十年三月 港区」
霊南坂上の西側にあるのが霊南坂教会です。住所は赤坂となります。
留岡幸助は、霊南坂教会の牧師だったことがあります。
有馬四郎助は、霊南坂教会で、留岡幸助牧師から洗礼を受けています。
歌手の山口百恵さんと俳優の三浦友和さんが霊南坂教会で挙式をあげています。
霊南坂教会礼拝堂へは、結婚式では訪れていませんが、お別れ会に何度か訪れました。
「The Okura Tokyo」の敷地の19mという高低差を生かして、枯山水の風景を展開した庭園です。
2020年に国土交通省が主催する「第40回緑の都市賞」において、国土交通大臣賞を受賞しています。
霊南坂沿の階段 庭園内ウッドウォーク 竹林を抜ける道
石橋 不詳の石碑
<モニュメント>
大倉集古館所蔵の歴史的モニュメントが色々と展示されています。
「道標
明治44年[1911]
「葵坂ここが双葉の分かれ道
左鶴彦 右集古館」」
※「鶴彦」は大倉喜八郎の号です。
「歌碑 大倉喜八郎詠
「渡り来し浮世の橋のあとみれば命にかけてあやふかりけり」
明治44年[1911]」
(碑裏「昭和三十七年十一月建之」とあります。)
「燈籠 藤原道重 江戸時代・貞享3年[1686]」 2基
寛永寺の厳有院(徳川家綱)霊廟にあった奉献唐金燈籠?かと当初思ったものの、「奉納東照宮」とあります。
「華表 朝鮮・朝鮮時代」
「踏石台 時代不詳」
「石祠 時代不詳」
「宝塔 江戸時代」 2基
【大倉集古館の屋外展示】
「大倉鶴彦翁像」
大正2(1913)年の建立です。
作者:武石弘三郎(1878〜1963年)
周辺には、「竜頭 中国・明時代」、「双亀 竹石弘三郎[1878-1963]大正2年[1913]」、「八掛文鼎香炉 中国・清時代」があります。
「石羊 朝鮮・朝鮮時代」
朝鮮の石羊です。
参考までに、「願生寺」(港区高輪)には満州国の石羊がいました(こちらで記載)。
「文人石 朝鮮・朝鮮時代」
「五重塔 朝鮮・高麗[11世紀]」
【大倉集古館の裏手(霊南坂側)】
「普賢菩薩騎象像」
「大倉聴松翁頌徳碑」
大倉財閥二代目の大倉喜七郎の頌徳碑です。
碑文に記載はありませんが、昭和10(1935)年7月に、大倉喜七郎は養育院の院長となりました。
渋沢栄一は亡くなるまで養育院の院長を続けました。
「現院長男爵 大倉喜七郎」(東京市養育院概要 昭和11年 国立国会図書館蔵)
「地蔵菩薩坐像」
「金童玉女立像」
「薬師如来坐像」
「釈迦如来坐像」
<オークラ東京>
大倉邸跡には、「オークラ東京」が建っています。
<ロビー展示>
1962 メインロビーの歴史
2015 解体を惜しむ声
2019 生まれ変わったロビー