Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 元佐倉道〜竪川 逆井の渡し

 【江東区】
  ○ 逆井の渡し
  ○ 逆井の渡し跡(江戸川区)
  ○ 逆井の渡し跡(江東区)
  ○ 元佐倉道跡道標


逆井の渡し 江戸川区小松川2丁目〜亀戸9丁目

 逆井の渡しは、小名木川の北を平行に流れる堅川が中川に交わる地点にありました。

「名所江戸百景 逆井のわたし」(広重)

 中川右岸の亀戸側から描かれています。遠景に房総の山々が見えます。
 渡し舟と飛び交う小鷺が五羽見えます。渡し舟に乗っているのは成田参詣の旅人でしょうか。

   

 ※ 名所江戸百景には、中川の風景が他にも描かれています。
  船番所が置かれた小名木川河口の「中川口」と、水戸街道と佐倉街道が分岐する「にい宿のわたし」です。
 

「絵本江戸土産 逆井の渡」(広重)

(説明文)
「竪川通りの末にして 葛西へわたる渡しなり これより先は小松川 かの新宿へも遠からず 耕地の在さま 菜園の体 風流好士の遊観なり」

  
 

「安政改正御江戸大絵図」(安政5(1858)年 国立国会図書館蔵)

 「安政改正御江戸大絵図」の竪川(隅田川〜中川)の中川合流部の抜粋拡大です。
 中川との合流部分には、「逆井船渡シ」「浅間社地」が見えます。

  


○逆井の渡し跡(江戸川区) 江戸川区小松川2-2

 説明板があります。

(説明板)
「逆井の渡し跡
中川をわたる逆井の渡しは、『新編武蔵風土記稿』に「元逆井村にありし渡しなるを以て、今も逆井の渡しとよべり」とあるように、もとは北隣りの逆井村にあったものが、その後西小松川村(現在の逆井橋付近)に移転したもののようです。ここに江戸と房総をむすぶ街道がひらかれたからでした。この街道を元佐倉道といい、区内を北東にほぼ直線で横切って、小岩市川の渡しを渡り、市川から佐倉、成田へ向かいました。明治に入って千葉街道とよばれるようになりました。
 逆井の渡し付近は風景も良く安藤広重が「名所江戸百景」のひとつに描いています。明治十二年(一八七九)、渡し跡に橋が架けられて、逆井の渡しは廃止されました。架橋当時は村費による架橋費を補うために通行料(橋銭)を徴収する賃取橋でした。明治二七年(一八九四)に橋銭徴収は終わり、三一年(一八九八)に、東京府によって架けかえられています。昭和四三年(一九六八)には、江戸川・江東両区の協力で鉄橋になっています。その後、旧中川沿岸の景観整備や、虹の大橋やもみじ大橋・さくら大橋がかけられて、現在のすがたになりました。
  江戸川区」

     


○逆井の渡し跡(江東区)江東区史跡 江東区亀戸9-12

 説明板「逆井の渡し跡」と「逆井の渡し跡石碑」があります。
 平成24(2012)年の設置です。江東区史跡に指定されています。

     
 

<石碑>

   

(説明板)
「江東区登録史跡
 逆井の渡し跡  亀戸九ー一二〜江戸川区
 逆井の渡しは、江戸時代から明治時代初期まで中川にあった渡しで、亀戸村と西小松川村(江戸川区)を結んでいました。もとは逆井村(西小松川村の北隣り)と亀戸村を結んでいたため、逆井の渡しと称されました。この場所は、万治二年(一六五九)に開削された堅川の北岸沿いに通る佐倉道と中川の合流点であり、江戸と下総方面をつなぐ交通の要所でした。川幅は四○間(約七三メートル)ほどで、船は二艘が備えられ、一艘は亀戸村、一艘は西小松川村持ちでした。(新編武蔵国風土記稿)。
 開設時期の詳細は不明ですが、延宝八年(一六八○)の「江戸方角安見図」には「総州さくら海道」(佐倉道)と中川が結節する地点に、「小松川舟わたし」の記載がみられ、この頃には渡船が運航していたことがわかります。また、明治時代の記録には、堅川の開削に携わった徳島屋兵右衛門らが寛文年間(一六六一〜七三)に渡船場を開設したとも記されています。
 渡船場周辺の様子は、嘉永三年(一八五○)の「絵本江戸土産」などによると、のどかな田園風景が広がる緑豊かな景観が風流人たちに好まれ、川を渡る人は船上からの眺めを楽しんでいたことがうかがわれます。
 渡船は明治以降も続き、『東京府統計表』によると明治一○年(一八七七)頃の渡し賃は人が銭一厘五毛、牛馬・人力車が三厘、馬車が一銭五厘などとなっていました。明治一二年に亀戸村と西小松川村により木造の逆井橋が架橋されると、渡しは交通機関としての役割が終え、廃止されました。
(歌川広重「逆井のわたし」(『名所江戸百景』)及び「逆井の渡」(『絵本江戸土産』)を掲示)
  平成二五年一二月  江東区教育委員会」

   
 

<亀戸あさくさ古道>

 「亀戸あさくさ古道」の案内図の掲示があります。

(説明板)
「ご案内図「亀戸あさくさ古道」を訪ねて
 亀戸の古道は、淺間神社・亀戸天神・六阿弥陀(常光寺)・浅草といった名所を結ぶ、江戸時代以来の道です。浅間神社境内に保存されている道標は、かつて竪川沿いの元佐倉道に置かれ、房総から逆井の遮しで江戸を訪れた人々に道を案内していました。道は、水神社でニ筋に分かれ、亀戸の鎮守香取神社、臥龍梅で有名な梅屋敷(跡)、萩寺と呼ばれる龍眼寺などへ行く道ともつながっていました。」

   


元佐倉道跡道標(江東区史跡) 江東区亀戸9-13

 逆井の渡し跡(江東区史跡)から西へ180m進むと、
 平成24(2012)年に設置の新しい道標「竪川六ツ目 元佐倉道跡」があります。

 「竪川六ツ目 元佐倉道跡」
 平成24(2012)年に設置の新しい道標です。

     

 首都高速下、竪川隅田川方向と、竪川中川方向

   


戻る