Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 六阿弥陀・川口善光寺道 六阿弥陀道標

  ○ 六阿弥陀・川口善光寺道
  ○ 六阿弥陀道標(川口市正覚寺)
  ○ 実相寺道標(川口市領家)
  ○ 鹿浜の道標(足立区鹿浜)
  ○ 鹿浜の虫切り(足立区鹿浜)
  ○ 弘法大師道・六阿弥陀みち道標(足立区江北)


六阿弥陀・川口善光寺道

<江戸近郊道しるべ>

 「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)に記載されている川口善光寺への旅程では、
 小田井村(西新井村弘法大師に言及)、宮城村(木あまり性応寺に言及、六阿弥陀二番目延命寺に言及)、鹿浜村(道標について言及)を通って善光寺へ至っています。
 鹿浜から土手通り(熊谷堤)を行けば、最短ですが、「コノ土手通リ切テ往来ナシ」と記されています。
 土手通りの北に川口宿の北に出る道が記されています。

 土手通りがボコボコで歩けなかったことは、明治24年に記された「栽櫻記」に「堤路凹凸。行歩スルコト甚ダ難シ。」とあることからも伺えます。

 鹿浜から川口善光寺へは、遠回りですが実相寺及び正覚寺の南の道を通っていたことが伺えます。

   


正覚寺 川口市元郷3-1-14

<題目塔道標>

 文政4(1821)年銘の題目塔道標があり、六阿弥陀二番目(延命院)への道標ともなっています。

 (正面)「南無阿弥陀佛」
 (右面)「東 千住 二り半
        六あミ多"二者"ん目 一り」
 (左面)「西 鳩ヶ谷 一里
        川口善光寺 十二丁
        王らび 一里二十丁」
 (左面は隣接する台石に密着しており判読不能、資料から記載)

     

<山門/本堂>

    

<武州川口七福神の布袋尊>

  

<庚申塔など>

 参道左手に小堂が2つあり、手前の堂には木造観音像と「永喜天満天神宮菩薩」

   

 奥の堂に庚申塔が2基あります。

    


題目塔道標 川口市領家2-12-12

 川口と鹿浜を結ぶバス通りに、「題目塔道標」があります。
 ここから北に向かうと本覚山実相寺に至ります。

 宗祖日蓮上人の降誕七百年を紀念して、大正10(1921)年に建てられています。
 建塔寄附主は東京日本橋芳町(花街)の瓢屋の店主のようです。

(正面)
 「南無妙法蓮華経」
 「南平柳村□□領家實相寺入口」と刻まれています。

     


鹿浜の道標 足立区鹿浜5-7 足立区文化財

 「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)で紹介されている鹿浜の道標があります。
 路傍の覆屋根に供養塔が3基あり、一番左がその道標です。
 寛政8(1796)年銘の普門品供養塔で、道標にもなっています。川口善光寺や六阿弥陀第二番(延命院)が示されています。

 (正面)
  「奉讀誦普門品供養塔現當…」
 (右側面下)
  「南 千じ由へ 二り
     六阿みだ二番目へ 廿丁
     王子へ 一り」
 (左側面下)
  「北 わらび宿へ 二り半
     川口ぜん可うじへ 一り
     はとがや町へ 一り三十丁」

     

 ※ ○供養塔三基(足立区鹿浜)からの抜粋です。


鹿浜の虫切り 足立区鹿浜1-5-21

 「虫切り」とは、奈良時代から伝わる子どもの「かんの虫」を抑える療法です。
 鹿浜の虫きりは、行基が宿泊の礼に伝授したと伝えられているようです。
 鹿浜の虫きりは有名で、かつて鹿浜の渡しは、別名「虫切の渡し」とも呼ばれました。

(説明板抜粋)
「鹿浜虫切り小宮家
 小宮家は、夜中に子供が急に泣き出したりす癇の虫を抑える「鹿浜虫切り」として古くから知られている。」

    

<庚申塔> 足立区文化財

 享保17(1732)年銘の青面金剛像の庚申塔です。
 (左側面)「武州足立郡渕江領鹿浜村」

   

<六地蔵念仏供養塔>

 享保5(1720)年銘の六地蔵念仏供養塔です。

 (中央)「奉造立六地蔵尊寒念仏」
 (左脇)「武州足立郡渕江領鹿浜村糀谷」

     

<石祠>

   


弘法大師道・六阿弥陀みち道標 足立区江北2-49

 寛政8(1796)年銘の弘法大師道及び六阿弥陀道の道標です。
 令和3(2021)年3月に300m離れた江北2丁目の路傍から移設されたものです。

 (正面)「左り 弘法大師道」
 (右面)「右へ 六阿弥陀みち」
 (左面)「寛政八年丙辰二月吉日」
     「浅草新はたこ町代地」
     「上総屋清兵衛」「伊勢屋助七」「つちや清兵衛」

    

 ※ ○熊の木と六阿弥陀伝説(足立区江北)からの抜粋です。


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