○ 神領堀緑道
○ 熊の木ひろば
○ 六阿弥陀伝説
○ 六阿弥陀伝説熊ノ木圦跡
○ 道標三基
○ 熊ノ木・帝釈天堂
○ 神領堀親水緑道(別頁)
神領堀(じんりょうぼり:神領とは東叡山寛永寺領)は、舎人で見沼代用水から分岐し、江北2丁目まで続く全長約6kmの水路です。
このうち、環状7号線より南の約1.1kmが平成25(2013)年に神領堀緑道として整備されました。
「熊の木ひろば」があり、水門「熊之木圦」と「熊之木橋(めがね橋)」が発掘・復元され、循環式の水が流れています。
<定使橋> 足立区江北3-38〜39
鳩ケ谷街道と神領堀緑道の交差点に、橋の欄干がそのまま残っている定使橋(じょうつかいばし)です。
<神領橋> 足立区江北3-39-4
足立区江北地域学習センター入口に神領橋が架かっています。
神領堀緑道が続きます。
「熊の木ひろば」に至ると、様相が一変します。
六阿弥陀伝説の説明板があります。
(説明板)
「熊之木」地名と六阿弥陀伝説
江戸時代中期から昭和初期にかけて、江戸・東京東部で盛んだった習俗に江戸六阿弥陀詣がある。主に女性が春秋の彼岸に、隅田川下流地域にあった六ないし八カ所の寺院を参詣するものであった。
その起源はある悲劇女性の伝説に由来する。荒川(現在の隅田川)を挟んで足立郡と豊島郡の豪族同士(寺院縁起による苗字に諸説あり)が婚姻を結んだ。しかし嫁ぎ先との折り合いが悪くなった女性が実家に帰される途中、世をはかなみ荒川に身を投げた。女性の冥福を祈るため、父親は紀伊国(和歌山県)熊野山に詣でた。その山中で光輝く一本の霊木を得て、熊野灘に流すと不思議なことに東国まで漂流し、荒川をさかのぼって漂着した場所が旧沼田村のこの付近であったという。熊野産の木がたどりついて奇縁により、「熊之木」地名が付いたと伝わる。その後、霊木からは、女性の父親に依頼された僧行基によって六躯(一説に八躯)の阿弥陀如来像等が彫刻され、近隣の六ないし八カ寺に安置され女性の菩提がとむらわれた。各寺院は後に江戸六阿弥陀詣札所になったという。
十九世紀前半に著された地誌『遊歴雑記』等には、霊木が着いた場所を「熊野木」とする記述が見える。また文政五年(一八二二)に六阿弥陀四番与楽寺が刊行した『武州江戸六阿弥陀巡拝之図』には、「熊の木」の位置が明示され江戸六阿弥陀詣参詣路の名所となっていた様子がうかがえる。
旧沼田村の「熊之木」地名は近代以降、熊之木橋・熊之木圦・熊之木排水場等に残り、六阿弥陀伝説をしのぶよすがとなっている。
平成二十七年三月 足立区教育委員会」
<神領堀緑道 熊の木ひろば>
「かつてこの場所に神領堀が流れ、熊之木圦を通って旧荒川(現隅田川)へ注いでいました。
旧荒川堤の江北一帯には、桜が咲き、多くの人々を楽しませてきました。当時の神領堀を一部復元いたしました。
平成二十五年三月 足立区」
明治期の曲がりくねった道筋や、荒川堤が描かれているので、参考になります。
熊之木圦から旧荒川(現隅田川)へ流れているほか、荒川下流では滝野川が注いでいるのがわかります。
六阿弥陀の渡しから滝野川河口へ続く道が六阿弥陀道なのでしょう。
上に伸びている道が大師道で、小台の渡しに至るのでしょう。
<熊之木橋>
元の場所から、約40m南に復元された熊之木橋です。
アーチ型の石橋で、水面に映るとめがねのような形になるので、「めがね橋」と呼ばれました。
昭和天皇がご幼少のころ、荒川堤の五色桜を見物された後、歩いて西新井大師へ向かう際に渡られたとの記録が残っているとのことです。
(碑文)
「この熊之木橋は、江北五色桜を祈念し、首都高速道路株式会社様並びに、株式会社デック様のご寄附により復元築造されたものです。
平成25年3月吉日 足立区長」
<熊之木圦> 足立区江北2-43
戦後埋められていた圦を掘り起こして復元した「熊之木圦」です。
新しい煉瓦も用いて補修されていますが、古い煉瓦で復元されています。
<「六阿弥陀伝説熊ノ木圦跡」碑>
熊之木橋の袂に「六阿弥陀伝説熊ノ木圦跡」碑があります。昭和51(1976)年の建立です。
六阿弥陀伝説の霊木が流れ着いたところと伝えられている標柱石です。
(表)「六阿弥陀伝説熊ノ木圦跡」
(裏)「昭和五十一年十月 足立区」
熊の木ひろばの西側に、道標が三基建っています。
<江北村制定記念碑道標>
右から順に、明治25(1907)年銘の碑で、道標を兼ねています。
裏面に千住・川口・王子・鳩ヶ谷への距離が刻まれています。
<弘法大師道道標>
明治40(1907)年銘の道標です。
(表)「右 弘法大師道」
(右)「西新井大師へ 十五丁」
(左)「南 東京道 北 川口道」
(裏)「明治四十年七月 西新井門前」
<弘法大師道・六阿弥陀みち道標>
一番左は、寛政8(1796)年銘の弘法大師道及び六阿弥陀道の道標です。
令和3(2021)年3月に300m離れた江北2丁目の路傍から移設されたものです。
(正面)「左り 弘法大師道」
(右面)「右へ 六阿弥陀みち」
(左面)「寛政八年丙辰二月吉日」
「浅草新はたこ町代地」
「上総屋清兵衛」「伊勢屋助七」「つちや清兵衛」
熊の木ひろばの入口左手に、帝釈天堂があります。
堂前には、煉瓦が敷かれています。
<石橋供養塔>
天明3(1783)年銘の庚申塔型の石橋供養塔です。
両側面がほとんど見えませんが、資料によると左側面に「奉造立青面金剛/為供養石橋也」と刻まれているようです。