Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 隅田川テラス 小台橋〜豊島橋

  ○ 小台橋
  ○ 隅田川テラス(西尾久)
  ○ 隅田川テラス(堀船)
  ○ 堀船周回ロード
  ○ 梶原の渡船場跡
  ○ 浅間の渕
  ○ 隅田川テラス(豊島)


小台橋(小台の渡し) 足立区小台2丁目〜荒川区西尾久3丁目

 六阿弥陀詣の巡拝者も利用した「小台の渡し」がありました。
 欄干に、小台の渡しが描かれているレリーフもあります。

    
 

<上流>

   
 

<下流>

  
 

<レリーフ>

     

     

     
 

<To point Ω> 足立区小台2-1-46先 

 平成4(1992)年第3回足立区野外彫刻コンクール入賞の安田明長氏の作品「Top point Ω」です。

  
 

<空を見る少女> 荒川区西尾久3-26先

 掛井五郎氏の作品「空を見る少女」です。

   


隅田川テラス(西尾久) 荒川区西尾久3丁目〜6丁目

 小台橋からは、堀船の行き止まりまで、隅田川右岸に隅田川テラスが続いています。
 あらかわ遊園と接しているところまで、荒川区西尾久となります。

   
 

<アリスの広場> 荒川区西尾久6丁目

 あらかわ遊園に至ると、アリスの広場があります。

    


隅田川テラス(堀船) 北区堀船

 あらから遊園の上流は、荒川区西尾久から北区船掘となります。
 

<船方神社裏> 北区船堀

 船方神社裏の隅田川テラスです。
 上流には、足立姫が身を投げたといわれる浅間渕(足立区宮城2丁目先)が見えます。
 下流には、あらかわ遊園、アリスの広場があります。

      上流(浅間渕方面)               下流(小台橋方面)
   

 新聞各社合同の印刷工場の周りを巡る「堀船周回ロード」が隅田川テラスと並行します。
 船堀周回ロードとの接点から、下流のあらかわ遊園・小台橋方向を見たところです。

   

 堀船周回ロードの下の隅田川テラスの下流〜上流です。
 隅田川テラス、堀船周回ロードともに、説明板「梶原の渡船場跡」で行き止まりとなっています。
 向岸には「みやぎ水処理センター」が見え、その横は「浅間の渕」です。

   

 (隅田川テラス終端)

    


堀船周回ロード 北区堀船4-2

 堀船の墨田川右岸に、「堀船周回ロード」があります。
 読売新聞・朝日新聞・日刊スポーツなどの合同による新聞の印刷工場と日本製紙の保管倉庫となっている工場の周りを周回する遊歩道です。
 現在の工場の前は、キリンビールの東京工場(平成10(1988)年8月閉鎖)で、
 かつては、明治41(1908)年に下野紡績の王子工場ができ、梶原の渡船場が設けられました。

 (隅田川下流〜上流)             (隅田川上流〜下流)
   
 

梶原の渡船場跡 北区堀船3-9

 説明板「梶原の渡船場跡」が建っている船堀周回ロードの隅田川上流が渡船場跡です。

(説明板)
「梶原の渡船場跡  北区堀船三−九
 この奥の隅田川沿いには、明治・大正・昭和にかけて、対岸の宮城村(足立区)との間を結ぶ渡船場がありました。
 明治四十一年(一九○八)、現在のキリンビール東京工場の敷地に下野紡績の工場ができ、対岸からも人々が工場へ通勤するようになりました。そこで、両岸の梶原・宮城地区の住民有志が出資してつくった船の発着場が、この梶原の渡船場です。
 子供の頃から父親とともに、船頭をしていた方の話によると、最初、運賃は大人一銭・子供五厘・荷車一銭五厘・自転車一銭だったそうで、この渡しができたことで、地域の住民の交通の便が非常に良くなりました。また、荷車という運賃があるように、駒込にあった市場に野菜を出すための交通路としても利用され、毎日十五台以上が隅田川を船で往復していたそうです。
 第二次世界大戦中には、足立方面などに軍需工場が多くなり、工場へ通う通勤者の行き帰りの足として混雑したそうですが、交通手段の整備とともに、渡しが使われることも少なくなり、昭和三十六年(一九六一)、その姿を消しました。
  平成八年三月  北区教育委員会」

     


浅間の渕

 浅間の渕の辺りは、テラスは途切れています。石神井川の河口からわずかに浅間の渕が望めます。
 浅間の渕については、こちらで記載

  


隅田川テラス(豊島) 北区豊島4丁目

 豊島四丁目リバーサイド公園の脇から、豊島橋までテラスが設けられています。

 1枚目は、テラス行き止まりから、下流の浅間の渕方向を見たところです。
 2枚絵は、向岸の「みやぎ水処理センター」を見たところです。
 3枚めは、テラスから豊島橋を見たところです。

    


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