Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 六阿弥陀伝説の地〜足立区宮城

  ○ 浅間の渕/富士浅間祠
  ○ 宮城氷川神社
  ○ 地蔵院跡


浅間の渕/富士浅間祠

 江戸名所図会によると、足立姫は浅間の渕で身を投げたとあります。
 浅間の渕は、現在の「みやぎ水処理センター」の隅田川辺です(足立区宮城2丁目)。
 また、足立姫の霊を富士浅間祠を設けて奉じたと記載されています。
 富士浅間祠は、宮城氷川神社に移されて摂社として現存しています。

「江戸名所図会」
 江戸名所図会には、以下に記されています。

「富士浅間祠
 同所川下の方深林の中にあり 土民伝云昔此地に足立荘司にて宮城宰相といへる者あり 一女子をもてり 名附て足立姫といふ(六阿弥陀第一番第四番両縁起には豊島左衛門尉清光の女とも また二番目縁起には沼田荘司の女とも 三番目五番目をよび六番目縁起には足立従二位宰相藤原正成の女ともあり) 父母隣県の豊島左衛門尉なりける者のもとへ嫁せしめんとす(六阿弥陀第一番縁起に足立少輔のもとへ送ると又四番目五番目六番目縁起には沼田少輔のもとへ送るとあり 三番目縁起余木の弥陀等の縁起上におなじ) されども彼女子常に仏神を敬するの外他なし 故に是に随はず 父母強て婚姻を整ふといへども猶此事をふかく患へとし竟に荒川に入て死す(又沼田川とも云 千住川の上にて豊島川の事なり) 侍女も又ともに身を投て死せり よつて荘司悲嘆に絶えず 又村人彼女子等の行跡のただならぬを称し其日六月朔日の事なればとて其霊を富士浅間と称して一社に奉ずといふと しかれども其説未詳」

「浅間淵
 同所の河淵をさしてしかいへり。足立姫溺死のところなりといふ」

「十二天森
 足立姫の侍女の死骸を収めて十二天と称す 船方村の鎮守なり」

<浅間の渕> 足立区宮城2丁目

 みやぎ水処理センターと浅間の渕です。
 宮城氏居館は、ここ、みやぎ水処理センターにありましたが、江戸時代にすでに畑で痕跡はありませんでした。
 明治時代は、煉瓦工場の材料の土(ここの土も荒木田土)の採取場となったので、穴ぼこで池のようになっていました。

     

<新堀橋> 北区堀船3丁目

 石神井川に架かる新堀橋から浅間の渕を見たところです。
 雑貨店のみどりや(北区堀船3-4-9)に小祠がありました。

    

<梶原の渡船場跡> 北区堀船3-9

 隅田川右岸「梶原の渡船場跡」から浅間の渕を見たところです。

   

「江戸近郊道しるべ」(村尾嘉陵)

 宮城近辺を抜粋しています。荒川のところに何か記載されているので見ると、
 「コノ辺ニモカキガラアリ」との記載でした。

  


宮城氷川神社 足立区宮城1-38-6

 宮城氷川神社は、江北氷川神社の兼務社です。神社は移転しており、旧地は荒川河川敷内です。

     

    

<いちょう>

 足立区の保存樹に指定されているイチョウです。

   

<手水舎/手水鉢>

 手水鉢は、嘉永4(1851)年銘です。

     

<記念碑>

 阿出川信孝氏(足立区議会議長等を歴任)の記念碑で、昭和42(1967)年の建碑です。

  

<宮城氷川神社由緒>

(由緒板)
「宮城氷川神社由緒
祭神素盞嗚尊 例祭 毎年九月十五日
 当社の由緒は旧記を欠きその詳細は明らかではない しかし按ずるに南北朝時代(一三一八ー九二)の昔武蔵国豊島郡一円を領有していた豊島重信の子重中が新たに足立郡宮城の地を開発し 宮城八郎と称して居館をこの地に構えたとき 守護神として足立郡大宮郷(現埼玉県大宮市)に鎮座する式内社(延喜式神名帳記載)武蔵一ノ宮氷川神社の分霊を勧請して祀ったのが始めである そのころ宮城の地名はすでに足立姫による姫の父足立庄司宮城宰相の名に基づき 地名として存在していたものと考えられるが伝説による人物は 人皇四十八代聖武天皇の神亀 天平時代(七二四ー四八)の人なれば その実在必らずしも信ずべきにあらず 重中の後 四代の子孫宮城泰業のころ 泰業は相州小田原(現神奈川県小田原市)の北條氏に属し 武蔵国岩槻城(現埼玉県岩槻市)にあったが 天正十八年(一五九〇)七月北條氏政が豊臣秀吉によって滅ぼされたとき宮城氏も亦北條氏と共に滅びた しかし守護神は宮城氏没落後も猶この地に鎮座し 江戸時代宮城の地が近世村落として成立したとき 改めて鎮守社として之を祀り 十一面観世音菩薩を本尊とした 蓋し神仏習合によるものである
 その後 大正二年三月 荒川河川改修工事が行わるるや 工事遂行のため社殿移転の議が起り その結果現在の宮城一丁目三十八番六号の地に遷座することになった しかし その社殿も昭和二十年四月十三日の戦災により焼失したので 昭和二十年十月旧地に再建した しかるにその後該地に宮城公園が設置されることになったので 境内の一部と公園敷地の一部を交換して昭和三十三年十月現在の地に新築移転することになり 今日に及んでいるのである
 因みに境内には伊弉諾尊伊邪那美尊を祭神とする三峰神社
 木花咲邪媛命を祭神とする浅間神社
 宇迦御魂命を祭神とする稲荷神社
が摂社として祭祀されている
  昭和六十二年正月朔日」

  

<「史蹟 宮城氏居館之址」碑>

 宮城氏が、この地に居館を構えていたことを伝える碑があります。

   

<稲荷社>

 祠扉が開いている時があり、中に「稲荷社」があります。
 元は宮城2丁目にあった下川煉瓦工場の敷地内にありました。

     

<水天宮>

 首都高速建築のため氷川神社に移されたのが水天宮です。
 水天宮裏には「大正十二年六月建立 平成十七年三月再建」とあります。

    

<水神>

 旧水天宮かと思います。現在の水天宮の後方隅にあります。

   
  
<浅間社/三峰社>

 浅間社は、足立姫の霊を奉じていると「江戸名所図会」や「東都遊覧年中行事」に記載されています。
 浅間の渕沿の深森の中にありましたが(現在のみやぎ水再生センターがある場所)、氷川神社に移転しています。

     

   

     

 ※「荒川の昔ー暮らしー」(荒川の昔を伝える会編)を参照しました。

○宮城公園 足立区宮城1-38-3

 宮城氷川神社に隣接して、宮城公園があります。
 巻き貝のすべり台が珍しい。

     


地蔵院跡 足立区宮城1-34-15

 地蔵院には堂宇はなく、下川家の墓地のみ残っています。
 板碑が五基あり、すべて足立区文化財に指定されています。
 古くから集落があったことが伺えます。

 「板碑(元弘三年銘)1333年」
 「板碑(康永二年銘)1343年」
 「板碑(貞治六年銘)1367年」
 「板碑(年不詳)」
 「板碑(年不詳)」

    

    


戻る