Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 巣鴨プリズン

  ○ 巣鴨プリズン
  ○ 巣鴨プリズン跡      (東池袋)
  ○ 石積みのモニュメント   (東池袋)
  ○ アガペーの像(愛の像)  (丸の内駅前広場)
  ○ 身代地蔵尊(護国寺)   (護国寺)   別頁
  ○ 東条英機墓(雑司ヶ谷霊園)(雑司ヶ谷霊園)別頁
  ○ 道標(巣鴨監獄道)    (東福寺)   別頁


巣鴨プリズン(Sugamo Prison)

 江戸時代の「石川島人足寄場」(こちらで記載)は、明治維新により幾度かの名称変更を経て、「石川島監獄署」となりました。
 明治28(1895)年、北豊島郡巣鴨村(現・豊島区東池袋)に移転、「警視庁監獄巣鴨支所」と改称、その後「巣鴨監獄」「巣鴨刑務所」と改められました。

 「巣鴨刑務所」は関東大震災で被災し、昭和10(1935)年に府中市へ移転し「府中刑務所」となります。
 「巣鴨刑務所」の跡地は昭和12(1937)年に「東京拘置所」となります。
 昭和20(1945)年11月、「GHQ」は接収した「東京拘置所」を利用してA級・BC級戦犯容疑者の収容、刑の確定後の刑の執行を目的として
 「巣鴨プリズン」(Sugamo Prison)を開設しました。
 昭和27(1952)年4月に「巣鴨プリズン」は日本に移管され「巣鴨刑務所」となり、
 昭和33(1958)年に最後の戦犯が釈放され、「巣鴨刑務所」は昭和37(1962)年に閉鎖となります。
 昭和33(1958)年に「東京拘置所」が「巣鴨刑務所」に併設して復元されますが、昭和46(1971)年に小管へ移転します。
 「東京拘置所」の跡地は「サンシャインシティ」や「東池袋中央公園」等となっています。
 (※矯正図書館HPを参照しました。)

 ※巣鴨監獄教誨師事件
  明治31(1998)年に、巣鴨監獄典獄に着任した有馬四郎助は、典獄誨師の活動のあり方に疑問を感じ、霊南坂教会で洗礼をうけた留岡幸助を教誨師として採用します。
  これに反発した本願寺の僧侶達は全員辞表を提出し、本山は、政府(大隈内閣)に檄文を送る大騒ぎとなり帝国議会まで巻き込む騒動となりました。
  事件は本願寺側に何ら合理性がないことが明らかになって終息します。教誨師事業への関心を喚起させるきっかけとなりました。


巣鴨プリズン跡 豊島区東池袋3-1-6 東池袋中央公園

 巣鴨プリズンの絞首台があった場所に「平和の碑」扱いの巣鴨プリズン跡碑が建っています。

<東池袋公園案内板>

    

(碑表)
 「永久平和を願って」

(碑陰)
「第二次世界大戦後、東京市谷において極東国際軍事裁判所が課した刑及び他の連合国戦争犯罪法廷が課した一部の刑が、この地で執行された。
 戦争による悲劇を再びくりかえさないため、この地を前述の遺跡とし、この碑を建立する。
  昭和五十五年六月」

     

 東池袋中央公園前の地図です。
 次に向かう巣鴨プリズンの遺構がある「イケ・サンパーク」へ530m、「サンシャインシティ」へ100mです。

    


石積みのモニュメント 豊島区東池袋4-34-16
 豊島区立としまみどりの防災公園(IKE・SUNPARK イケ・サンパーク)

    
 

<石積みのモニュメント>

 巣鴨プリズンの排水口が移設保存され、説明パネルが設置されています。

    

 巣鴨プリズンの石垣石は、公園の植栽に再利用されています。

   

(説明板)
「石積みのモニュメントについて
このアーチ状の石積みは、本公園の敷地の隣接道路(都市計画道路補助第176号線および特別区道41-340)を支えていた石垣の一部で、周辺道路整備で撤去した際に保存し、公園内に復元したものです。
かつてこの地には巣鴨刑務所があり、関東大震災で被害を受けその後縮小され、昭和14年、縮小により空地となった土地の一部に造幣局が移転してきました。この地には長らく貨幣の製造工場や博物館がありましたが、それらの機能は平成28年にさいたま市へ移転し、その跡地に豊島区からの要請を受けたUR都市機構が本公園を整備しました。
そうした歴史から、かつてこの石積みは巣鴨刑務所の排水口として、この周辺を流れていた水窪川(現・暗渠)につながっていたのではないかと考えられています。石垣の石は他にもこの公園で再利用していますので探してみてください。」

    

    
 

<石積みの排水工と石垣のあった場所>

 石積みの排水口と石垣があった場所は、公園の南西、坂下通りの終端の階段を降りたところです。

    

 工事が続いています。

   


アガペーの像(愛の像) 千代田区丸の内1-9

 戦犯の遺書・遺稿701編を編纂した「世紀の遺書」の印税の一部により、
 中村勝五郎氏の尽力により「アガペーの像」(愛の像)が東京駅前広場(丸の内)に設置、昭和30(1955)年11月11日に除幕式が行われました。
 当初は上野公園に設置される予定でしたが調整がつかず、「世紀の遺書」の推薦人の一人だった国鉄総裁の縁で東京駅に設置されたようです。
 アガペーの像の彫刻は、広島の平和記念公園「祈りの像」などを制作した横江嘉純が手がけています。
 ギリシャ語「(アガペー)」の上の「愛」の文字は、巣鴨プリズンの教誨師だった田嶋隆純氏による揮毫です。
 台石には「世紀の遺書」が納められています。
 東京駅の駅舎改修工事に伴い、2007年10月に撤去されましたが、
 2017年12月に完了した東京駅丸の内駅前広場の整備事業で、当初の位置とは異なりますが再設置されました。

     

  
 

<東京駅丸の内駅舎>

 アガペーの像からみた、辰野金吾設計の東京駅丸の内駅舎です。

  


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