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 鹿浜 宝蔵寺


○宝蔵寺 足立区鹿浜3-20-5

 医壷山福寿院寶蔵寺と号します。
 鎌倉時代の弘安年間(1278-88)に鹿浜村南部に創建、荒川水除堤(熊谷堤)の造成により寛保2(1742)年以降に現在地に移転しました。
 末寺八か寺を擁する寺院でしたが、今は長楽寺と阿弥陀院を残すのみとなっています。また、境外地には妙見堂がありました。
 幕末には寺子屋が開かれ、明治7(1874)年に公立小学校六番分校(後に「公立小学鹿浜学校」)が設けられました。
 荒綾八十八ヶ所霊場第77番札所です。

<山門/寺号標>

 寺号標「真言宗智山派 宝蔵寺」

   

<庚申塔>

 説明板板によると、正和元(1312)年の阿弥陀三尊種子板碑(足立区文化財)があり、
 また天文10(1541)年銘の庚申板碑(足立区文化財)、元禄4(1691)年銘の庚申塔(足立区文化財)があるとしています。
 こちらは山門脇にある元禄4(1691)年銘の三猿が陽刻された庚申塔(足立区文化財)です。

(掲示)
 「文化財
   庚申待供養塔
    東京都足立区教育委員会」

     

(説明板)
「宝蔵寺
 真言宗智山派。医壺山福寿院宝蔵寺と号し、木造薬師如来坐像を本尊とする。鎌倉時代の弘安年間(一二七八〜八八)、鹿浜村の南部に良算和尚により創建された。「権大僧都法印良算和尚位」と刻まれた正和元年(一三一二)銘の阿弥陀三尊種子板碑(足立区登録有形文化財)が造立されている。
 境内地は以前、鹿浜橋緑地付近にあったと推定されるが、荒川水除堤(熊谷堤)が造成され堤外となり、水害を避けて寛保二年(一七四二)に現在地に移転した。
 本尊のほかにも古い木造薬師如来坐像が二躯あり、令和二年(二○二○)、八角薬師堂に安置された。また、伝円空作木造不動明王立像もあり、現在は加賀阿弥陀堂に保管されている。さらに、鉄眼版大般若経六百巻・中国伝来の琥珀楊柳観音像等も収蔵されている。
 宝蔵寺には多数の板碑や庚申塔があり、足立区登録文化財となっている。特に、天文十年(一五四一)銘板碑は、庚申待供養のために造立されたもので十五世紀後半以降、足立区周辺で庚申信仰が盛んになったことを示す貴重な資料である。山門の脇には、三猿を陽刻した元禄四年(一六九一)銘庚申塔もある。
 本寺は長い歴史を有しているが、幕末には寺子屋が開かれ、明治七年(一八七四)に公立小学校六番分校が設けられ、後に独立して「公立小学鹿浜学校」となった。ここは、鹿浜地区における学校発祥の地である。
  令和二年三月  東京都足立区教育委員会」

  

<門柱入口>

  

【境内】
<七重石塔>

  

<宝篋印塔>

   

<弘法大師像>

  

<八角薬師堂>

   

<六地蔵>

 六地蔵と左の石仏4基、右に地蔵尊1基。

    

<地蔵堂>

   

<子育て地蔵尊>

  

<霊場巡拝記念碑>

 昭和61年の巡拝記念碑です。

   

<手水鉢>

  

<本堂>

    

   

<無縁墓>

 墓地の塀際には、無縁墓が隙間なく並んでいます。

  


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