Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 下谷道 世尊寺


○世尊寺 台東区根岸3-13-22

 鐡砂山観音院世尊寺と号します。
 豊島左近将監輝時が開基、賢栄が開山となり応安5(1372)年に創建したといいます。
 本木村の吉祥院の末寺でした。
 荒川辺八十八ヶ所霊場1番、御府内二十一ヶ所霊場12番札所となっています。

「江戸切絵図」
 下谷道(奥州道裏道)と「世尊寺」部分の抜粋です。

  

<山門>

  

【境内左】
<地蔵堂>

 山門入って、左手の地蔵堂です。扁額は「子育地蔵尊」とあります。
 地蔵尊三基と、後ろに多くの地蔵が奉納されています。
 中央地蔵尊台座「角尾張 見世 二階中」
 明治のはじめ宮沢平吉が吉原遊郭で「角尾張楼」という見世を始め、その後明治17(1884)年に「角海老楼」という大見世を建てました。
 新吉原「角尾張楼」の奉納で改修して台座を造ったということですかね。

   

<六地蔵石幢>

 文化11(1814)年銘の「六地蔵石幢」です。
 台座正面「地蔵尊像壱 百萬紙供養塔」
 台座左側面に紀年。

     

<畠山某の顕彰碑>

 文政6(1823)年に亡くなり、文政7(1824)年に建てられた高畠某の顕彰碑のようです。
 碑文の漢文が読めないので詳細不詳です。

    

<庚申塔>

 元禄6(1693)年銘の地蔵尊を主尊とする庚申塔が萬霊塔の頂上に座しています。
 左に紀年。
 右「奉造立地蔵尊庚申講衆二世安楽攸」

    

<法界萬霊塔>

 台座「法界萬霊」

  

<庚申塔>

 延宝2(1674)年銘の庚申塔です。
 青面金剛と左右に二童子、足下に邪鬼。
 その下に四夜叉、御幣を捧げ持つ猿、二鶏が刻まれています。

    

(説明板)
「庚申塔
   台東区根岸三丁目十三番一、十二号 世尊寺
 庚申塔は、庚申信仰に基づいた石造物で、江戸時代以降、盛んに造立された。
 庚申信仰とは、六十日に一回めぐってくる庚申の目の夜を寝ないで過ごすことで、長寿延命や無病息災を祈るものである。信仰を同じくする人々が、地域ごとに庚申講というグループを組織して庚申の晩に講員が集まり、行事を行った。区内には、六十一基の庚申塔が現存している。
 世尊寺の庚申塔は延宝二年(一六七四)に造立されたもので、下方部には造立に携わった講員の名前が見られる。正面には邪鬼を含む青面金剛が刻まれ、その左右と下方には、二童子、四夜叉、二鶏、一猿があらわされている。
 庚申塔は地域に根ざした人々の信仰を明らかにする貴重な資料であることから、本塔を含む区内の庚申塔が、平成十九年三月に台東区有形民俗文化財として台東区区民文化財台帳に登載された。
  平成二十八年三月 台東区教育委員会」

  

【境内右】
<大師堂>

 山門入って右手に「大師堂」はあります。

 標柱左「福智六地蔵菩薩」文久3(1863)年11月造立
 標柱右「御府内廿一ヶ所第十二番 弘法大師真影 世尊寺」

    

 扁額左 「六地蔵尊」
 扁額右 「弘法大師」
 扁額中央「御府内廿一ヶ所 第十二番」

   

<念仏車>

 多くの人が回すので、ボロボロの念仏車はよく見ますが、ここの念仏車は保存状態が良いです。

   

<線刻六地蔵>

  

<弘法大師 御府内二十一ヶ所十二番奉納額(明治31年)>

  

<大師像>

 厨子内には弘法大師像が座しておられます。
 「新編武蔵風土記稿」には、「弘法大師自作の像を安す」と記されています。

   

<水子地蔵>

  

<碑>
 何の碑ですかね。

  

<本堂>

   


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