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 大森貝墟/大森貝塚


○大森貝墟の碑 大田区山王1-3-3

 「国史跡大森貝塚」として、品川区、大田区の双方とも、併せて指定されています。
 

<大森貝塚入口>

    
 

<貝塚発掘125周年記念>

 「貝塚発掘125周年記念
  2002.9.16
  窯元 増穂登り窯
  作者 田篠麻衣子」

    
 

<史跡大森貝塚>

 見学時間は9:00〜17:00です。

     

     
   

<モース博士と大森貝塚>

 階段を降りた壁面に説明板「モース博士と大森貝塚」があります。

(説明板)
「モース博士と大森貝塚
 アメリカのエドワード・シルヴェスター・モース博士は、明治10年(1877)6月横浜から新橋に向かう車窓で、大森貝塚を発見しました。そこで土器、石器、人骨など多数の資料を発掘し、その成果を「SHELL MOUNDS OF OMORI」として刊行しました。この発掘が日本の考古学、人類学などの発展に大きく貢献するとともに日本の先史文化を海外に広めました。
 モース博士は東京大学の動物学の教授となり、進化論を最初に紹介したり、国内を広く旅行して多くの人々と交流を深め、日本陶器や風俗を研究して、日本文化を海外に紹介し、日米文化交流の上に偉大な功績をのこしました。また独立心と独創性を持ち、たえず社会のために民主的な行動をとり、豊かな人間性をもった人物として尊敬されています。
 このたび大森貝塚発掘100周年を記念し、偉大な学者の功績をたたえるとともに大森貝塚の重要性を永遠に伝えます。
  1977年10月  東京大森貝塚保存会 日本電信電話公社」

    
 

<大森貝墟の碑>

    

(碑文)
 「我國最初之發見
  大森貝墟
    理學博士 佐々木忠次郎書」

  

(碑陰)
 「明治十年モールス先生の發見に係り門下生理學博士佐々木忠次郎故松浦作用彦両氏と共に發掘研究し顕著なる遺跡也
   昭和五年四月建之」

  

(台石上段)
 「Relic of Omori Shell Mound
     Discovered
        by
  Professor Edw.S.Morse
         in
      1877」

  

(台石下段)發起人21名の名前が記されています。
 石川千代松 岩川友太郎 稲村坦元 井下清 濱田耕作 原田淑人
 長谷部言人 穂積重遠 荻野仲三郎 上田三平 臼井米二郎 黒板勝美
 矢吹活禅 松村瞭 小金井良精 佐々木忠次郎 清野謙次 三上参次
 宮岡恒次郎 柴田常恵 白井光太郎」
 

<大森貝墟2分の1レプリカ・モースゆかりの地碑> 大田区山王3-3-1

   

(プレート文)
「モースゆかりの地
 この像は《大森貝墟》碑の約二分の一寸法のレプリカです。
 実物は左のNTTデータ敷地通路奥の階段を下りた先にあります。
  2013年3月」

「《大森貝墟》碑の由来
 大正一四年一二月、大森貝塚を発掘し、江戸・明治期の文化を海外に紹介したエドワード・シルべスタ・モース博士の訃報(ふほう)が伝わると、ただちに博士と関係のあった石千代松・岩川友太郎・臼井米二郎・佐々木忠次郎・松村瞭・宮岡恒次郎の六名が発起人となり、大森貝塚の顕彰(けんしょう)とモース博士の偉大なる功績(こうせき)を後世に伝えるため、調査場所に記念碑をたてることにした。その場所は、発掘に参加した佐々木忠次郎の日誌と記憶、ならびに当時の地形、立木、村道の位置、大森駅との距離などにより、小林脳行店主の臼井米二郎の所有地(東京府荏原郡新井町字新井宿山王下二五五番地・現在の大田区山王一丁目三番一号)とされた。
 二一名の研究者らが発起人となり建碑を呼びかけたが、昭和二年にアメリカで起きた世界恐慌(きょうこう)が日本にも及び、献金は集まらず、臼井米二郎が土地と資金を提供し、《大森貝塚》碑が完成したと、佐々木忠次郎は語っている。
 除幕式は、昭和五年四月二三日におこなわれた。碑の材料は仙台石で、高さ六尺、幅三尺、これに二段の台石を据(す)え、碑の表面には碑名、英文記事、発起人の氏名を刻(きざ)み裏面にはモース博士の貝塚発見の由来を彫(ほ)った。
 昭和三○年三月二四日、《大森貝塚》碑は品川区の大森貝塚遺跡庭園公園内にある《大森貝塚》碑とともに国の史跡に指定された。
 史跡《大森貝墟》碑は、日本の歴史に輝きをあたえた大森貝塚とその発掘者モース博士をたたえるとともに、師を敬愛する明治期の人々の意気が感じられる。私たちはこの碑を国の文化財の象徴として、末永く保存管理する使命をもっている。
  東京都大森貝塚保存会
  会長    関 俊彦」

    
 

<レプリカ>

    
 

<モースゆかりの地>

(碑文)
「モースゆかりの地
1877年、米国のモース博士は大森貝塚を発見しました。
現在南方に棲むむハイガイが、この地に発見されたのは、
極めて興味深いことです。
博士のゆかりの地を記念し、この碑を建立します。
  1986年 マルイト株式会社 鹿島建設株式会社」

    


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