Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 西新井大師(總持寺)

  ○ 江戸名所図会など
  ○ 参道/山門
  ○ 境内
  ○ 弁天池と奥の院
  ○ 光明殿


○西新井大師(總持寺) 足立区西新井1-3-5 HP

 正式名称は「五智山遍照院總持寺」、通称は西新井大師です。
 荒川辺八十八ヶ所霊場37番・38番、荒綾八十八ヶ所霊場1番など種々霊場の札所となっています。

江戸名所図会 西新井大師堂」

 「加持水」が見えます。
 本文の記載には、
「阿伽井 本堂の左の傍らにあり すなわち弘法大師の加持水なり 洗目・服薬に用ふるにその応験あり この井によって地名を西新井と称すといへり」とあります。
 「茶や」が見えます。草だんごを売っている現在の中田屋です。

    

「江戸名勝図会 西新井」(二代広重 慶應4年)

  

「東京府下南足立郡西新井村 五智山總持寺全図」(明治30(1897)年 足立区立郷土博物館蔵)

 總持寺の南東から鳥瞰している銅版画です。
 銅版原板も足立区立郷土博物館が所蔵しています。

  

「西新井大師」(一日の行楽 田山花袋 大正7年)

 田山花袋は西新井大師に何度も訪れているようです。
 栄螺堂に上がっての眺望が良いとしています(現在は中へ入れません)。
 西新井大師には石碑が多くありますが、いろは歌碑に言及しています。
 「弘法大師自筆のいろは歌を刻した碑などがある。」
 花時分には、西新井大師から荒川堤の五色桜に出て、小台の渡しを渡って田端へ出るとあります。

  


○西新井大師道アーチ 足立区西新井栄町3丁目

 尾竹橋通りに面して、大きな「西新井大師道」のアーチがあります。
 西新井三栄商店会を抜けて西新井大師に至る大師道です。
 2009年12月の完成と比較的新しいアーチです。

  

表参道>
   
   

<セブン‐イレブン〜武蔵屋>

 かつての草だんご「武蔵屋」は、セブン―イレブンとMUSASHIYA(ナッツ専門店)になっています。

    

<中田屋>

 参道に面して、歴史物が展示されています。

     

<山門> 足立区文化財

 山門の耐震補強保存修理(2017年3月〜2018年11月)が行われました。
 清水建設が担当しています(工事の紹介)。
 
 新たに鉄骨を組み入れ、本堂側に6m移動して配置されました。
 「厄除弘法大師」礎石が境内から山門前に移設されています。明治30(1897)年の銅版画を見ると参道入口にあったようです。

     

   

厄除弘法大師礎石>

 正面
  「厄除弘法大師」
 裏面
  寛文9(1669)年と文政9(1826)年の紀年があります。
 正面下
  各地への里程が刻まれ、道標となっています。
  「六阿弥陀 江 十八丁」「王子 江 一里半」「千住 江 一里八丁」「大橋 江 三里」「竹ノ塚 江 十八丁」「草加 江 一里半」「鳩ケ谷 江 二里」
  六阿弥陀詣のルートの最初に組み込まれていたことが伺えます。

    

  

<六阿弥陀道標>

 別途記載

<東門>

 平成26(2014)年の落慶です。

  

<裏門>

  

<弘法大師道/六阿弥陀道道標>

 裏門から入ってすぐ左手に、「弘法大師道/六阿弥陀道」の道標があります。
 浅草威光院の中興、法印秀仙の建立です。
 六阿弥陀とは関係のない他の寺の住職が道標を建てたのが不思議です。

 (正面)「是より左り/弘法大師 六阿弥陀/道」
 (左面)「安永丙申五年三月」(安永5(1776)年の道標です)
 (右面)「江戸浅草威光院秀仙建之」

     

    


境内】
<塩地蔵>

 山門を入るとすぐ左手の祠に塩地蔵が祀られています。
(説明板)
「塩地蔵
 ここに安置される地蔵菩薩は、江戸時代より特にいぼ取りその他に霊験ありと伝えられ御堂内の塩をいただきその功徳ある時、倍の塩をお返しするところから塩地蔵と申し諸人の信仰盛んなり。
 ご真言
 おんかーかーかびさんまえいそわか
  西新井大師 総持寺」

    

<六角観音堂>

 塩地蔵の並びにあります。「聖観世音菩薩像」を祀っています。

  

<受付棟>

  

<大日如来尊像>

 別途記載

<手水舎>

 手水鉢を4人の童子が支えています。

   

    

<松本子邦寿石> 足立区文化財

 足立区文化財ですが、現地に説明板が掲示されていないので、足立区HPから引用です。

(足立区HP説明)

「松本子邦碑一基
 松本子邦の徳を称えて、嘉永3年(1850)に建立されました。西新井大師の境内に建てられたのは、子邦が弘法大師を敬愛していたことによります。
 子邦は、寛政5年(1793)に浅草で生まれ、札差を家業としていました。学問に熱心で、儒者の寺門静軒と親交が深く、碑文も寺門静軒が書いています。
 碑文には、「君、読書を好み、書万巻を購い、別業に庫づくりしてもって貯え、勝鹿文庫と称す」(原漢文)とあり、子邦が読書好きで、たくさんの本を購入して、勝鹿文庫を開き、それを寺門静軒をはじめとした多くの人々に読ませたといいます。まさに現代の図書館そのもので、子邦のような篤学で富裕な人物が江戸時代の学問・文化を支えていたのです。
 なお、総持寺には、国宝・重要文化財などの寺宝があるほか、「山門」・「三匝堂」・「紙本着色弘法大師修法図」および庚申塔4基が足立区登録文化財となっています。」

    

<奉納梵鐘>

 昭和27(1952)年の「三郡送大師講中」による奉納梵鐘碑です。

  

<銅鐘>

 この銅鐘は、終戦直後、米巡洋艦パサデナ号にて戦勝記念品として持ち出され、
 カリフォルニア州ロサンゼルス郡パサデナ市役所の玄関ロビーに飾られました。
 昭和30(1955)年7月26日に、「日米親善」の鐘として帰還した旨の説明が記されています。
 英語と日本語の説明板が設けられています。

     
 
<第十一区木遣塚>

 昭和50(1975)年建立の木遣塚です。
 右手に「木遣田歌の歌」碑があります。

      

<鳥塚>

 東門入ってすぐ左手にある大きな碑です。

 「鳥塚 大野伴睦」
 「東京食鳥鶏卵商業協同組合
  東京都食鳥肉販売業環境衛生同業組合
   足立支部」
 「昭和三十七年二月四日建之」

 不忍池弁天島にも大きな鳥塚の碑がありますが、それより1カ月早い建立です。(こちらで記載)。

    

<延命地蔵尊>

(説明板)
「延命水洗地蔵尊
 地蔵菩薩は釈尊の滅後、仏がいなくなったこの世界の衆生を、弥勒佛が出現するまでの間教化する菩薩であります。
 この延命水洗地蔵尊を信仰すると十種の福徳が授かり特に寿命長遠の功徳があります。弘法大師様御降誕一二○○年の記念として建立いたしました。
  ご真言
  おんかーかーかびさんまえいそわか
   西新井大師 総持寺」

   

<御手洗池(いろは池)>

 「新編武蔵風土記稿」によると、蓮池を「御手洗池」と唱うるとあります。
 西新井大師HPには「いろは池」とあります。
 池の渕にある「いろは歌碑」は明治34(1901)年の建碑で、「いろは池」の呼称はそれ以降のことかと思います。
 江戸名所図会に、池が2つ見えます(「御手洗池」と「弁天池」)。

    

<弘法大師以呂波歌之碑>

 明治34(1901)年8月の建碑です。田山花袋も池の渕にあるこの碑に言及しています。
 「いろはにほへとちりぬるを〜」

     

    

<藤棚>

 樹齢700年とも言われる藤の棚です。

    

<新東京八名勝>

 昭和7(1932)年に報知新聞社が「新東京八名勝」を選定、その記念碑が建っています。

    

(参考)
【新東京八名勝】
 池上本門寺 西新井大師 北品川天王社 日暮里諏訪神社 赤塚の松月院 目黒の祐天寺 洗足池 亀戸天神
【新東京一六景】
 雑司ヶ谷鬼子母神の森 大井の大仏 水元の水郷 奥沢の九品仏 新井薬師 柴又帝釈天 目黒不動 篠崎堤の桜 堀切の花菖蒲 善養寺の松 哲学堂 三宝寺池 大宮八幡 滝野川の渓流 丸子多摩川の丘 豊島園

<庚申塔>

 「新東京名勝八景」の裏に自然石の庚申塔があります。
 正面に「庚申」とあります。

  

<三匝堂(さざえ堂)> 足立区文化財

 田山花袋が上っていますが、現在は上がれません。

    

(説明板)
「三匝堂(栄螺堂)
  登録 昭和五七年一二月
 この堂は一見三重の塔に見えるが、江戸時代に流行した三匝堂で、俗に栄螺堂と言われる仏堂の一形式である。江戸中期本所の羅漢寺に建てられたものをはじめとして、関東以北の寺院に相当建てられたらしいが、今に残る遺構は非常に少ない。都内では明治十七改築とはいえこの堂のみで、貴重な建築物である。
 堂の内部には、初層に本尊の阿弥陀如来と八十八祖像、二層に十三仏、三層に五智如来と二十五菩薩を祀ってある。現在は本尊が新本堂に移されている。
 昔は、ここに参れば一時に諸国の霊場、諸仏を巡拝したのと同じご利益があるとされ、さざえの殻の中のような堂内を初層から三層まで巡拝した。
  平成十六年三月  足立区教育委員会」

  

<水子地蔵堂>

 賽の河原で石を積む子ども達を救う錫杖を持った水子地蔵尊が祀られています。

(説明板)
「地蔵尊 水子供養
 地蔵菩薩は釈尊入滅後 弥勒菩薩出生までの間無仏の五濁悪世の救済を仏よりゆだねられ さまざまに姿を変え六道を化導し 三途の川の賽の河原に在っても子供たちの迷いを除き能く救うとされます。
 御供養となる五輪塔婆を献ずることは地蔵菩薩建立の意味を成し、大慈悲の功徳によって精霊を擁護し安らかならしめます。
  ご真言
  おんかーかーかびさんまえいそわか
   西新井大師 総持寺」

    

<寒桜>

(説明板)
「(珍樹)寒桜
 当山のこの桜は、カンヒザクラ系の雑種で桜の中では最も早く開花し、通常であれば二月上旬から三月上旬ごろまで長期間楽しむことができる。
 このような寒桜は都内ではあまり見ること出来ない。
  西新井市大師総持寺」

   

<嘉永2年の歌碑>

 歌碑でしょうか?寒桜の植え込みにあります。

   

<不動堂>

(説明板)
「不動堂
 本尊不動明王は、不動尊又は無動尊とも云い、大日如来が済度し難い衆生に対し右手に剣左手に索を持ち大火焔を放ち忿怒の相に現じ一切煩悩を調伏し遵法せしめ給う尊である。
 堅固不動の浄菩薩心の尊なれば、諸願成就は勿論、悪毒、災害を除き延寿徐病等効能広し。堂内には不動明王を中心に右に制咤迦、左に矜迦羅の二童子を祀り、當山修行の道場である。
 ご真言
 のうまくさまんだばらだん せんだまかろしゃだそわたや うんたらたかんまん
  西新井大師 総持寺」

   

<加持水井>

 加持水堂に銅製の円筒状の井筒が納められています。
 弘化4(1847)年「神田蝋燭講寄進」奉納の「加持水井」です。
 大師堂の西に新しく湧きでた井戸で、西新井の地名の由来となっています。

 「遊歴雑記」に以下記述されています。伝説では清らかな水が湧いたとされていますが、実際は冷鉱泉だったようです。
 「淵江領西荒井村の大師堂
  此大師堂の西に加持水と号せるありて、井戸屋形を作り小茶椀弍ツ三つならべてあるにぞ、
  参詣の徒目を洗ふあり、月代へ塗あり、頂きて飲人もありけり、但し此加持水の色白赤く濁りて中々服しがたし」

    

<加持水堂>

 扁額「弘法大師 加持水」
 ここは、加持水をお供えするお堂のようです。

     

<四国八十八箇所お砂踏み霊場>

(説明板)
「四国八十八箇所お砂踏み霊場
 同行二人お砂踏み順礼所
 厄除弘法大師のご利益と観音慈悲の功徳を一時に与えてくれる礼拝所。
 基壇の周囲、石板の下には、四国霊場と高野山の霊砂が順に敷かれております。
<礼拝尊像>
 十一面観世菩薩像 四国八十八所大師像
 高野山奥之院大師像 弘法大師父君母君像
<礼拝の心得>
 心?かに保ち願いを込め南側正面より入場。正面にて合掌礼拝、「南無大師遍照金剛」をお唱えしながら左側から順に一周して下さい。前の方とは間隔をあけ一列にてお歩き下さい。最後に正面で合掌礼拝して退場。
  西新井大師 総持寺」

    

<大本堂>

 『関東八十八か所霊場』 特別札所
 『関東三十六不動霊場』 26番札所
 『東国花の寺百ヶ寺』   1番札所

    

    

<不動明王>

 本堂裏に不動明王が祀られています。

   


弁天池と奥の院】

<弘法大師立像>

 「東京千住睦講」による昭和4(1929)年の建立です。

   

<稚児大師尊像>

 弘法大師様御降誕1200年記念とのこと、昭和48(1973)年ですかね。

(説明板)
「稚児大師尊像
 弘法大師樣は、宝亀五年(七七四)六月十五日讚岐国多度郡屏風ヶ浦、現在の香川県善通寺市に出生、幼名を眞魚と云い、幼にして智惠深くして神童の誉れ高くすべてに秀でていらっしゃいました。
 古来よりこの稚児大師様を信仰すれば子育て、学業成就のご利益をいただくことが出来るとされます。
 弘法大師様御降誕一二○○年の記念として東京藝術大学教授菅原安男先生に委嘱して謹作しました。
  ご宝号
   南無大師遍照金剛
  西新井大師 総持寺」

    

<福寿地蔵>

  

<講中碑>

 様々な講の碑が立ち並びます。
 弘法大師千百年大遠忌(昭和9(1934)年)の講碑が多くあります。

  

 「弘法大師壱千百年御遠忌記念事業奥之院清浄橋並池畔改修之碑」

   

 「荒綾八十八ケ所碑」
  西新井大師は、一番札所です。

  

 「木漁講碑」
  木魚講燈籠と木魚講碑です。

   

<弁天池/きよめ橋>

 瀧が流れ込む弁天池に架かる石橋は「きよめ橋(清浄橋)」です。

    

    

 池畔に「弘法大師像」、「鯉塚 川魚 供養」があります。

    

<五老井まつ雄句碑>
 
 弁天池の畔に、大正4(1915)年の五老井まつ雄の句碑が建っています。
 五老井まつ雄(本名:坪田庄市)は、森川許六を祖とする五老井八世です。
 堀切菖蒲園にも、明治43(1910)年のまつ雄句碑があります。

    

<弁天堂>

(説明板)
「弁天堂
 本尊の弁財天は音楽、弁才、財福などを司る女神で妙音天、美音天ともいう。もと印度の河神で、のち学問、芸術の守護神となる。
 当社の建立は詳らかではないが江戸期の古書にも記されて、現在、芸道達成、学業成就、航海安全等の祈願成就を願う人々が少なくない。
  ご真言
  のうまくさんまんだぼだのう そらそばていえいそわか
   西新井大師 総持寺」

    

 「親子弁天」「海運弁才天」
  親子弁天とは何でしょうかね。弁天堂の前に海講の「海運弁才天」(明治14年)があります。

     

<十三重宝塔>

(説明板)
「この塔は高祖弘法大師報恩謝徳の為に建立されました十三重の塔です。塔身には高祖大師の御影を謹刻し内には恵果阿閣梨より受け継がれた仏舎利一粒が納められさらに高祖大師ゆかりの聖地より白砂聖石を蒐め埋納されております。
 塔は車都婆(ストゥーパ)と言われお釈迦様の仏舎利を奉安されるために建造されたのが始まりです。
 密敦では卒塔婆鈔に「大日遍照の一身十方諸仏の具体」と説かれております。造立供養の功徳は無辺にして量り難く十種の功徳を被るといわれます。
 開眼法会、平成七年四月二十日執行
  ご宝号
   南無大師遍照金剛
  西新井大師 総持寺」

    

<石碑>

 行き止まりとなる石畳に沿って、石碑が並んでいます。

    

<権現堂>

(説明板)
「権現堂
 権現堂の由来は、遠く当山建立の砌り、山内の地鎮のために権現像をまつことに始まる。その後数度の修復を経て今日に至る。権現とは、衆生済度の為に仏が神に化身して、我が国に現れた御影を申し上げる。
  西新井大師 総持寺」

    

<如意輪堂>

(説明板)
「如意輪堂(女人堂)
 本尊如意輪観音は法輪を転じて苦しみを受ける一切有情に宝財を施し、あるいは如意珠より福智二徳を出生し衆生の苦を除き楽を与える観音菩薩である。
 當山では何時の頃からか特に女人の諸願成就に霊験ありとされ、その功徳多き故に女人堂と伝えられ衆生の帰依と共に今日に至る。
  ご真言
  おんはんどま しんだまに じんばらうん
   西新井大師 総持寺」

    

<奥の院>

 高野山奥の院を、文化2(1805)年に奉迎した遥拝所です。

     

(説明板)
「奥の院
 今にまします弘法大師様高野山奥の院を関東に奉迎して当地にまつりました。かつてこの御堂の前に御霊屋影見の井戸あり、かかるところから当山は関東の高野と称され高野山の代拝所として江戸の昔より今日まで善男、善女の参ずる者が多い。
 ≪御遺告≫
  虚空尽き涅槃尽きなば吾が願いも尽きなん
  ご宝号  南無大師遍照金剛
   西新井大師 総持寺」

  

<奥院一宇・石橋・敷石・女人堂建築・開帳日護摩供養碑>

  

<不詳の祠>

 海講の碑にある「奥院一宇」でしょうか?

  

<江戸消防翁会 翁塚>

  

<阿弥陀如来三尊庚申塔>

 奥の院の裏にある無縁仏群の中に宝永年間の阿弥陀如来三尊庚申塔。
 
 中央に阿弥陀如来、左右に観世音菩薩と勢至菩薩。
 下部に「奉造立 阿弥陀如来 二十三夜講 供養」
 台石に三猿が存在していたようですが、台石はありません。

   

    

<宝筐印塔>

    

<出世稲荷>

     

(説明板)
「出世稲荷明神
 稲荷明神とは、本来五穀の神であります倉稲魂神をお祭りしたものである。
 弘法大師様が嵯峨天皇より東寺を賜りました時、明神が翁の姿となって現れ救いを垂れられたので、東寺の鎮守として祭られ盛んになったといわれます。
 この杜殿は弘法大師陸誕一二〇○年の記念として再建いたしました当山の鎮守であります。
  西新井大師 総持寺」

  

<書院の力石と鐘楼>

 書院に力石とその上に鐘楼があります。

   

    

<奥之院道>

 書院に道標「奥之院道」があります。昭和4(1929)年、海講による寄進です。

   

<宝照殿>

 チェーンが張られ常時閉まっているようです。

  


光明殿/六角堂

    

<弘法大師道道標>

 安永6(1777)年銘の弘法大師道道標です。

 (正面)「西あら井」「弘法大師道」
 (左面)「是与り一里」

     

<弘法大師道道標>

 (正面)「西新井」「弘法大師道」

  

<芭蕉句碑>

 芭蕉句碑「父母のしきりにこひし雉子の声」

 天保12(1841)年、芭蕉の弟子たちが句会を開いたとき、この句碑を建てたものです。
 江戸時代の句碑には思えないほど保存状態が良いです。

   

<第二鳥塚>

 第一鳥塚は東門の裏手にあります。
 こちらは第二鳥塚です。

 「鳥塚
   元総理大臣 佐藤栄作書」

 「東京食鳥鶏卵商業協同組合
  東京都食鳥肉販売業環境衛生同業組合
  社団法人日本食鳥協会東京支部 足立支部」
  第二鳥塚建設」

    

<庚申塔>

 六角堂の横の植え込みに、自然石「奉待庚申」があります。

   

<板碑型庚申塔>

 六角堂裏の無縁仏群の中にある、寛永13(1636)年銘の板碑型庚申塔です。
 「奉待庚申〜」

    

<庚申塔>

 光明院殿の真裏に庚申塔があります。
 安政4(1857)年銘。正面に「庚申塔」の文字に三猿です。

    

<地蔵菩薩立像(庚申塔)>

 文化元(1804)年銘。像下に紀年と「庚申待講中」とあります。

    

   


戻る