Discover 江戸史蹟散歩
 
 流山道 足立区保木間〜花畑

  ○ 流山道(足立区保木間〜花畑)
  ○ 不詳の祠
  ○ 名地プチテラス
  ○ 山王堀公園
  ○ 阿弥陀院 別頁
  ○ 玉蔵院  別頁
  ○ 西光寺  別頁
  ○ 道海道と交差
  ○ 堤根公園
  ○ 林松寺


流山道 足立区保木間〜花畑

 流山街道名地プチテラスから先は、街道に沿って阿弥陀院、山王堀公園、玉蔵院があります。
 西光寺で左に折れて道標のある門前を通り、西光寺を回りこんで道は続きますが、堤根公園で突き当り、道筋は失われます。
 堤根公園の手前で古い奥州街道と口伝がある「道海道」(どうけみち)と交差します。
 堤根公園の先に林松寺があります。
 このあと流山道は、南花畑、内匠橋、六木を経て流山に向かいます。

  


不詳の祠 足立区保木間4-7-14

 プチテラス手前にある、不詳の祠です。屋敷神ですかね?

   


流山街道名地プチテラス 足立区保木間4-12-9

 「成田山まで是より十六里」と刻まれた道標と案内板が設置されています。
 花畑を通って流山から成田山へ向かう街道だった事を紹介しています。

 旧日光街道から渕江小学校の脇道に入り、右手の渕江村役場跡を過ぎ、
 保木間氷川神社の前を通り、途中大乗院への参道を横切って、
 須賀写真館前から国道4号線を横断し、スシローの後ろを通って進むと、
 名地地区に至ります。
 道が二又に分かれます。左手の細い道が流山道、2つの道に挟まれた地点が名地プチテラス。

 プチテラスから先は、プチテラスの後ろの狭いほうの道を行くと山王堀公園に出ます。
 右に行き公園に沿って東に曲がり、玉蔵院の前を通り西光寺(成田山参詣の休憩所として賑わう)に至ります。
 西光寺を経て、堤根公園手前で道筋はなくなっていますが、河岸場があった榎戸で綾瀬川を渡り、
 六木を経て流山に向かうのが流山道です。

 小林一茶も、流山道を通って、交友のあった流山の秋元三左衛門を訪ねていたようです。

    
 

<流山街道歴史案内板>

「流山街道歴史案内板
 流山街道(王子吉川線一四九号線府県道)
 村の中ほどを東西に通り、成田参詣に通じる道で、別名成田道ともいった。街道に沿って阿弥陀院、玉蔵院、西光寺があり、西光寺の門前には不動様を刻んだ道標があり
「成田山へ是より十六里(約六十四キロ米)榎戸まで二十町」など記されている。
人家もこの道に沿って建てられ、名地、在家、原といったズシ(地縁集団)もこの道をはさんで発展してきた。

 細井塾(通称)
 名主の細井左一氏が一八六二年(文久二年)〜一八七八年(明治十一年)の間、地元の十才前後の子に「よみ」「かき」を教え、礼儀行儀を重視した教育をした。

 朴堂小学校
 一八七八年(明治十一年)開設。細井塾の塾生五十七名がそのまま朴堂小学校へ移された。農家の子を対象とした夜学も開き教育した。
 一九〇一年(明治三十四年)渕江尋常高等小学校(西保一)が朴堂小学校と竹の塚正矯小学校と合併し創立されるまで存続した。」

    


山王堀公園 足立区保木間4-23-1

 流山道は、山王堀公園に突き当ります。公園名は、近くにある山王神社に由来します。

    


○阿弥陀院〜玉蔵院〜西光寺 こちらで記載



○「道海道」と交差

 堤根公園の手前で古い奥州街道と口伝がある「道海道」(どうけみち)と交差します。

  


堤根公園 足立区花畑1-2-1

 流山道は、堤根公園で突き当り、道筋は失われます。
 堤根(つつむね)公園は、淵江土地区画整理組合が造成し、地名をとり命名した公園です。

    


林松寺 足立区花畑1-4-14

 堤根山薬師院林松寺と号します。荒綾八十八ヶ所霊場掛番札所です。

   
 

<庚申塔二基> 足立区文化財

 流山道の脇にあった庚申塔で、戦後の区画整理により林松寺境内に移されています。
 参道から左手の墓地に入ってすぐのところに2基の庚申塔が並んでいます。
 2基とも足立区文化財に指定されています。

 (左)寛政6(1794)年銘の庚申塔です。
 (右)元禄7(1694)年銘の庚申塔です。

     
 

<笠塔婆>

 駐車場の隅に建っている寛文6(1666)年銘の笠塔婆です。

   
 

<本堂>

    


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