Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 隅田川 荒川区町屋

  ○ お茶屋の渡し(お竹の渡し)
  ○ 一本松の渡し
  ○ 土地区画整理記念碑
  ○ 町屋の一本松
  ○ 板碑型庚申塔
  ○ 荒木田の原 別頁


お茶屋の渡し(お竹の渡し) 荒川区町屋7-17-6 荒川区立尾竹橋公園

 尾竹橋から下流の隅田川右岸には隅田川テラスはありません。
 カミソリ堤防の外に、「お茶屋の渡し」「一本松の渡し」と説明板が続きます。
 説明板「お茶屋の渡し(お竹の渡し)」は、「荒川区立尾竹橋公園」にあります。

   

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 お茶屋の渡し (お竹の渡し)
 ここから南へ約七十メートル行ったところに、町屋と足立区千住桜木一丁目を結ぶ渡しがあった。対岸の足立区側の渡し場の脇に三軒の茶屋があったことからこの名がつけられたといわれる。別名をお竹の渡し。茶屋に「おたけさん」という名の女性がいたために そう呼ばれたという。
 この渡しは 天保年間(一八三○〜四四)にはじめられたと伝え、千住・西新井方面へ向かう交通路として重要な役割をはたした。昭和九年にこの渡しから少し上流に尾竹橋が架けられた後もしばらくは渡しが残っていた。
  荒川区教育委員会」

  


一本松の渡し 荒川区町屋8-20

 マンションの前に荒川区の説明板「一本松の渡し」が建っています(荒川区町屋8-21-21)。

   

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 一本松の渡し  
 この渡しは、現在の足立区千住緑町との間、 約百四十メートルの距離を結ぶ。両岸の人々の暮らしに欠かせない重要な交通手段であった。
 渡しの名は、町屋一丁目の庚申塚の上に立つ一本松に由来する。
 ここから東へ六十メートルほど行ったところが渡し場だった。
  荒川区教育委員会」

 

 説明板から60mほど行ったところの行き止まりのカミソリ堤防に、かつて「上水千住水管橋」がありました(平成25(2013)年に撤去)。
 ここが一本松の渡し場でした。

   


土地区画整理記念碑 荒川区町屋8-17

 説明田「一本松の渡し」の道路反対側には、大きな「土地区画整理記念」の碑が建っています。
 西郷隆盛の甥の西郷従徳の揮毫です。

 (碑文)
  「土地區割整理紀念碑
     昭和十年十一月 完成
     侯爵西郷従徳書」

   


町屋の一本松 荒川区町屋1-9-14

 「一本松グリーンスポット」の一角に、「町屋の一本松」跡があります。
 町屋の一本松は、元禄6(1693)年に町屋村と三河島村との境に植えられたと伝えられています。
 戦争中に焼け、現在は2代目の松が植えられています。
 一本松の根元にあった寛文8(1668)年銘の板碑型庚申塔が今も残されています。

     

(説明板)
「あらかわの史跡・文化財
 寛文八年九月銘庚申塔(町屋の一本松)
 この庚申塔は元禄六年(一六九三)に植樹されたと伝えられる一本松の根元にあった。
 町屋の一本松は江戸時代、三河島村との堺に位置し、根元の庚申塚は四坪ほどで丸い小丘をなしていたという。今では寛文八年(一六六八)九月吉日銘の庚申塚が残るのみで、松も戦災で枯死してしまった。ただ『三河島八景』のなかに「庚申の暮雪」として、庚申塔とかつての一本松が雪景色を背景に描かれており、往時を偲ばせる。
 平成六年に誕生した、この“一本松グリーンスポット”は、町屋の一本松に由来する。
  荒川区教育委員会」

   
 

<手水鉢>

 「猿田彦大(神)」と刻まれています。手水鉢型庚申塔ですか?

   
 

板碑型庚申塔>

 寛文8(1668)年銘の板碑型庚申塔です。

 「奉造立庚申供養一基二世安楽所」

   
 

<愛>

 「愛 一色邦彦根」

   
 

○一本松児童遊園 荒川区町屋1-10-2

 児童遊園にも一本松の名がとどめられています。

    


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