【東武線西側】
○ 徳寿院
○ 勝田堀公園
○ 不動明王
○ 満願寺
○ 庚申塔
○ 西新井トンネル
無量山徳寿院と号します。
荒綾八十八ヶ所霊場16番、西新井組中川通四箇領八十八箇所2番札所です。
<札所碑>
墓地に札所碑がありました。
「字栗原
荒綾八十八ヶ所第十六番 徳寿院
是ヨリ〜」
<弘法大師壱千百五十年御遠忌報徳之碑/本堂再建記念碑>
<弘法大師像>
平成22(2010)年の建立。
<仏足石>
<六道能化>
<石仏群>
墓地の東側奥にある石仏群です。
墓石の中央に元禄14(1701)年銘の庚申塔があります。
無縁塔の跡地です。いくつかピックアップして塀際に移転したようですが、庚申板碑が失われたようです。
勝田堀公園は、昭和57(1982)年に開園。公園の縁を流れていた勝田堀にちなんで名付けられました。
(碑文)
「勝田堀公園
この公園は 当組合の土地区画整理事業により権利者全員の減歩で確保されたもので施行区域の南端に位置し
公園南側の水路は勝田堀と言って当時の重要な農業用水路で源流は利根川から取水し埼玉県を横断して流れる見沼代用水を経ての一支流で往時の名を残して勝田堀公園と命名する
昭和六十一年四月吉日
栗原・六月町土地区画整理組
碑石 新潟県産千草石」
勝田堀にかつて架けられていた石橋の石が、公園銘名碑の礎石として保存されています。
(碑文)
「勝田堀の橋石
この石は勝田堀用水路に架けられていた古い橋の石で長い年月地域の人達の通行に貢献してきたものであり感謝の意を込めてここに保存する」
勝田堀公園の南側にある駐車場の一画に「不動明王」が祀られています。
迦羅陀山千蔵院満願寺と号します。
荒川辺八十八ヶ所霊場39番札所、荒綾八十八ヶ所霊場24番札所、西新井組中川通四箇領八十八箇所3番札所です。
山門
西門
<地蔵尊>
満願寺前の環状七号線が開通し交通量が増えたことから、
昭和62(1987)年に、交通安全を祈願して建てられました。
「庚申塔」「弘法大師供養塔」「たぬき塚」があるのですが、
表からは藪に覆われて見えにくいです。裏からは藪がないのでよく見えますが。
<庚申塔> 足立区文化財
万治2(1659)年銘の庚申板碑です。
(標柱)
「足立区文化財 庚申塔万治二年銘」
「平成三十年六月吉日」
(正面中央)
「奉造立庚申供養結衆□□安楽所」(□は剥離)
<弘法大師一千百年御遠忌供養塔>
笹に覆われて、表はよく見えません。
裏「昭和九年四月十日」
<たぬき塚>
満願寺に伝わるたぬきの昔話にちなんだ「たぬき塚」があります。
たぬき塚碑は、昭和63(1988)年12月の建立です。たぬき像が三基あります。
<弘法大師修行御尊像/四国霊場御砂>
<奉供養敷石建立
栗原村 念佛講(文化9年)>
<六地蔵>
<墓地改葬碑>
都道百号線(尾竹橋通り)が墓地を縦貫することになり墓地改葬が行われました。
「墓地改葬碑 昭和六十年五月吉日」
<手水鉢>
参道ではなく、本堂前に手水鉢が置かれています。
<九重塔等>
<本堂>
<庫裡>
<関東大震災横死者群霊供養塔>
関東大震災により東京紡績西新井工場(現在の日清紡)の煉瓦造りの工場が崩れ落ち、工員44名が死亡しました。
犠牲者の慰霊のために大正13(1924)年に供養塔が建てられました。(足立史談第595号を参照しました。)
墓地の最奥に建っています。
(表)
「大正十二癸亥九月
関東震災横死者群霊供養塔」
(右側面)
「大正十三年三月建之」
(参考)
日清紡東京工場の頒徳碑が栗原氷川神社にあります(こちらで記載)。
満願寺前から環状七号線を東へ進むと、二基の庚申塔が堂宇に納められています。
左 宝暦13(1763)年の庚申塔です。
右 延宝7(1679)年の地蔵菩薩主尊の庚申塔です。
東武線の西側から東側への一方通行の西新井トンネルです。
途中3カ所の階段出入り口。大師線の手前、大師線を越えたところ、東武スカイツリーラインを越えたところ。
大師線と東武スカイツリーラインの間のトンネル上部は青空がのぞきます。
トンネル中央部に「足立区栗原排水場」があります。