・稲荷神社
・旧日清紡鳥居
・祀られた旧鳥居
・江戸・東京の農業
足立のツマモノ
「平安朝以来陸羽街道の交通を得、陸奥守源頼義公奥州東征の折、当社に御休憩ありという。」(神社HP抜粋)
当地は、室町時代に千葉氏の所領となり、徳川氏入国後は天領となり開拓が進められ、農村として大きく発展しました。
<由緒>
HPに同じ内容が掲載されています。
「新編武蔵風土記稿」に見る十社(氷川社・第六天社・吾妻明神社・八幡社・天神社・稲荷社五宇)は、
現在境内三社殿にすべて合祀されているとのこと。
<ニ之鳥居>
一之鳥居から直角に曲がると、ニ之鳥居です。
参道左手には社務所(無人:鷲神社が兼務)があります。
<手水舎>
手水舎には、天明8(1788)年銘の手水鉢が据えられています。
<神楽殿>
<保存樹>
クロマツやイチョウなど10本が保存樹に指定されています。
<銭型手水鉢>
拝殿への石段脇に「銭型手水鉢」があります。
水穴の四角を漢字の「口」として合わせると漢字になりません、どう読むのでしょうかね。
<狛犬>
昭和28(1953)年9月17日建立の狛犬です。
<国威宣揚旗台>
「国威宣揚
陸軍大将岸本綾夫書」
東京市長も務めた陸軍大将岸本綾夫書の旗台で、栗原青年團による昭和18(1943)年12月の造立です。
<記念碑>
氷川神社の整備事業の完成記念碑で、昭和46(1971)年の建碑です。
<拝殿/本殿>
【境内社】
社殿左手に稲荷神社、右手に吾妻神社です。
<吾妻神社>
足立区保存樹木のイチョウとクロマツには縄が巻かれているので御神木なのでしょう。
一之鳥居から三之鳥居まであります。
日清紡東京工場の稲荷鳥居を奉納するなどの深慮に対し、
氏子中が平成17(2005)年9月に建てた頒徳碑です。
「西新井東武線電車工場から日清紡績の工場方面を望む」(昭和45(1970)年3月23日 足立区立郷土博物館蔵)
日清紡東京工場(足立区西新井栄町一丁目)は、平成14(2002)年に操業停止しています。
<一之鳥居>
鳥居には、「日清紡 東京工場」と大きく刻まれています。
<ニ之鳥居/三之鳥居>
<神狐>
一般的には鍵を咥えていますが、こちらの神狐は変なところに鍵がささっています。
初めて見ました。稲荷も金精神も豊穣の信仰だから、ニ信仰の習合でしょうか。
<社殿>
現在の社殿は昭和46(1971)年の建立です。
記念碑にもその旨の記載がありました。
「文化十一年甲戌四月」
敷石の先に、文化11(1817)年銘の破損した鳥居が祀られて?います。
風化した先代の狛犬が護っています。
一之鳥居をくぐると、右手にJAの「江戸・東京の農業 足立のツマモノ」の説明板があります。
(説明板)
「江戸・東京の農業 足立のツマモノ
ツマモノとは、料理にそえて季節感や風味を演出するために使用する野菜です。
栗原地区を中心に扇、本木、伊興地区などで芽紫蘇、穂紫蘇、鮎タデ、ツクバネ、サンショなどのツマモノ栽培が行われてきました。
ツマモノ栽培は、大正末期に栗原の農家が当時、穂紫蘇の栽培を行っていた現在の荒川区下谷付近より種子を手にいれたことに始まると言われています。
ツマモノは、高度な栽培技術が要求され、出荷にも荷痛みを防ぐ出荷容器が必要で、大変手間のかかる野菜です。しかし、ツマモノ栽培は狭い面積で高い収入を得ることができ、東京という大消費地近郊のこの地域は、市場を独占してきました。
昭和40年代に入ると、農業技術の普及により、日本各地に強力な産地が生まれるのに対し、この地域は都市化による畑の減少が進み、栽培農家も減少してしまいました。
しかし、小面積で栽培できるツマモノの特徴を生かし、工夫を加えて栽培を続け、都市農業のモデルとしても注目されています。
平成9年度JA東京グループ
農業協同組合法施行五十周年記念事業
足立農業協同組合」