○ 水神橋
○ 毛長公園
・花畑町土地区画整理組合記念碑
・花瀬橋
・毛長公園親水拠点
○ 花畑浅間神社
○ 花畑大橋
○ 大鷲さくら橋
○ 鷲宮橋
○ 毛長川河口
毛長川に架かる旧国道四号線(足立越谷線)の水神橋です。
江戸時代、道海道(こちらで記載)が日光街道の水神橋で合流していました。
昭和32(1957)年竣工、橋げたが真っ白に塗りかえられています。
橋銘板は「すいじんばし」で、「水神橋」の橋銘板は破損が著しかったので撤去されたようです。
毛長川上流 毛長川下流
「すいじんばし」「昭和三十二年三月竣工」
毛長公園は、毛長川右岸に沿った緑道のような帯状の公園です。
花畑町土地区画整理組合記念碑が公園内に多く設置されています。
それぞれ総代の名前が違っており、使用されている石も様々です。
石工は同じです。
<浅間第一公園> 足立区花畑6-12-49
毛長公園に続く浅間第一公園にも記念碑があります。
2022年3月31日に開通した人道橋です。
足立区花畑側は文教大学、草加市瀬崎側はひよ子東京工場があります。
毛長川上流 毛長川下流
2022年3月31日に開放された親水拠点です。コンセプトがはっきりしていない印象を受けます。
※その他区間は、引続き、護岸工事及び公園工事の完了まで閉鎖されています(令和6年2月下旬までの整備)。
「山のモニュメント」が見たかったのですが工事区間内のため確認できず。
毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、
この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられています。
参道の入り口に第六天社の石碑と庚申塔があります。
(説明板)
「花畑浅間神社富士塚
富士塚とは、富士山を信仰する人々の集団である富士講によって築造された塚である。
富士山の溶岩石を使用して小山を築き、頂上には浅間神社の祠を祀り、烏帽子岩、小御岳社をはじめ、実物の富士山と同様に各名所を配すのが一般的であり、登山して参拝できるようになっている。
富士信仰は、文化・文政年間(1804〜1829)に江戸を中心として爆発的に広まり多くの講中が結ばれ、講の発達に伴い富士塚の築造も盛んに行われるようになった。
この富士塚は、千住神社、保木間氷川神社の富士塚と同じく伊藤参行を講祖とする丸参講による築造である。築造年代は明らかではないが、石鳥居の年代や伝承より明治初年と考えられている。また、花畑大鷲神社には、この講中により明治五年の記年のある富士登山絵馬が奉納されている。
花畑浅間神社は社殿を持たず、富士塚の頂上に祀る浅間社をそのまま社名とし「野浅間」といわれている。
神社の北側を流れる毛長川流域には、多くの古墳や遺跡の存在が確認されており、この神社もその形態から古墳を利用したものと考えられており興味深い。
昭和五十九年十一月、足立区有形民俗文化財に登録されている。
平成七年三月 東京都足立区教育委員会」
「花畑大橋
昭和五十八年四月吉日築功
足立区長古性直書」
毛長川上流 毛長川下流
2020年12月15日に開通。
毛長川上流 毛長川下流
毛長川最下流の鷲宮橋です。
毛長川上流 毛長川下流
綾瀬川に、伝右川、毛長川が流れ込みます。
三川合流点は、ここが東京23区内とは思えない光景です。