Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 神田上水懸樋(江戸名所図会と浮世絵)/神田上水懸樋跡(現在)

  ○ 江戸時代の懸樋
  ○ 明治時代の懸樋


○名所図会や浮世絵に見る神田上水懸樋

「江戸名所図会 御茶の水 水道橋 神田上水懸樋」

 神田川の上を神田上水懸樋が通り、奥に水道橋が見えます。
 この景観は江戸の名所のひとつとなっており、浮世絵にも多く描かれています。
 舟に乗る客人は懸樋を見上げています。遠景に富士山が見えます。
 懸樋には高札が掲示されています。

   

 「神田上水々元絵図」(東京都立図書館蔵)に水道に関する高札が載っています。
 上水において、水あび、魚鳥をとること、塵芥を捨てること、物洗いが禁じられています。

  

 上水の水量や汚れを監視する見守番屋の番人は、副業として鰻屋「もりやま(守山/森山)」を営んでいました。
 右手の料理屋の室内では鰻のかば焼きを食べています。
 右のご老人は、「江戸名所図会」の挿絵を担当する取材中の長谷川雪旦かもしれません。

   
 

「吏疑盗賊長谷川雪旦」(石亭画談:今古雅俗 竹本又八郎 明治17年)

 鰻屋「もりやま」には、「江戸名所図会」の挿絵を担当した長谷川雪旦が泥棒と間違えられた逸話があります。
 鰻屋の守山に一人の客が訪れ、店内や周辺を写生して帰りました。
 その晩、鰻屋に泥棒が入り、店の主人は昼間の客は下見に来ていたに違いないと思っていると、後日、また同じ客がやってきました。
 店の主人は、役人に訴え、役人は鉄コンを使って捕えようと店内は騒然となりました。
 捕縛されようとする雪旦の脇には鰻のかば焼きがひっくりかえっています。窓の外には懸樋が見えます。
 さて、役人の中に、この客は、長谷川雪旦だと知る者がいて、
 聞いてみれば「江戸名所図会」の挿絵の取材だったとわかり一件落着、一同、大笑いとなりました。

  
 

「絵本続江戸土産 神田上水御茶水」(鈴木春信)

 江戸名所図会の挿絵では二階建ですが、この挿絵が描かれた頃は平屋の鰻屋です。
 建物の前に、人の背丈ほどの大きな「大かば焼」の行燈看板が見えます。

   
 

「狂歌江都名所図会16編 御茶の水 水道橋 神田川」(安政3(1856)年 二代広重)

 初代・二代広重の画で、16編は二代広重が描いています。
 神田川手前に神田上水懸樋、奥に水道橋が見えます。
 「もりやま」は、2階がお茶の水坂に面しています。
 遠景には富士山が見えます。

   
 

「絵本江戸土産 御茶の水」(広重)

 挿絵には「御茶の水 聖堂より猶西の方御堀をいふ この所 両岸絶壁にして風景よし 殊に月雪を称すべし」とあります。

  
 

「名所江戸百景 水道橋駿河台」(広重)

 神田上水懸樋のお茶の水坂上から、水道橋の光景です。

  
 

「江戸図屏風」(Wikipediaより引用)

 「江戸図屏風」に描かれている江戸時代初期の吉祥寺橋(吉祥寺は明暦3(1657)年の大火で焼失、本駒込に移転)と懸樋です。
 懸樋がこの位置だと駿河台に給水できないと思われ、理解不能です。
 懸樋は、万治年間(1658〜1661)に架け替えられたため、俗に万年樋と呼ばれました。

  
 

「東都名所 御茶之水之図」(広重)

 右手土手の中腹に描かれている家は神田上水の見守番屋です。
 水番人は副業として鰻屋「守山(森山)」を営んでいました。

  
 

「東都名所御茶之水」(芳員)

  
 

「江戸名所道戯尽 四 御茶の水の釣人」(広景)

 広景の「広重」と「北斎」のパロディです。

  

 (参考)「北斎漫画十二編 釣の名人」(北斎)
   
 

「富士三十六景 東都御茶の水」(広重)

  
 

「東都名所本郷御茶の水」(広重)

  
 

「銀世界東十二景 お茶の水雪中の美人」(広重)

  
 

「江戸名所百人美女 御茶の水」(豊国・国久)

 こま絵には、懸樋と見守番屋が見えます。遠景には富士山です。

   
 

「江戸名所四十八景 御茶之水夕景」(二代広重 都立図書館蔵)

 水道橋から坂を上がった左手に「もりやま」の2階部分が見えます。
 店頭で鰻を焼いているのでしょうか。

  
 

「東都三十六景 お茶の水」(二代広重)

 「懸樋」と「もりやま」が見えます。

  
 

「東都御茶之水風景」(昇亭北寿 都立図書館蔵)

 神田川下流から、懸樋、水道橋の光景です。

  
 

「江戸切絵図」

 「水道橋」「上水樋」が描かれています。

  


明治時代の懸樋】

「お茶の水 Kanda Aqueduct of Ocha no-mizu, Tokyo.」(日本之名勝 明治33(1900)年)

 水道橋から撮影した御茶の水の懸樋です。
 左手の塀は石川伊予守(七千石)、石丸仙太郎(二千石)の旧旗本屋敷です。

  
 

「御茶の水舊水道萬年樋」(実写奠都五十年史 大正6(1917)年)

 水道橋から撮影した御茶の水の懸樋です。
 解説には、
 「神田上水の懸樋にして其伏管は元町の河岸より南方駿河臺の中腹を貫けり
  樋の左は其番人小屋にし景は水道橋方面より見たるところ
  新水道橋敷設以来癈樋となり撤せられたり」とあります。

  
 

「茶の水雪 (東京名所)」(小林清親)

 懸樋の下流からの冬の光景です。

  
 

「ヲ茶水屋根舟ト蛍ノ図」(小林清親 都立図書館蔵)

 お茶の水は蛍の名所でもありました。夜の懸樋が見えます。

  
 

「武蔵百景 水道橋茶の水」(小林清親)

 水道橋の橋脚からの懸樋の光景です。

  
 

「水道橋」(井上安治)

 手前の水道橋の先に、懸樋が見えます。

  
 

「御茶ノ水」(井上安治)

 師匠と同じく、懸樋の下流からの雪の光景です。

  


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