Discover 江戸旧蹟を歩く
 
 井の頭恩賜公園

  ○ 井の頭池
  ○ 神田川源流
  ○ お茶の水
  ○ 徳川三代将軍御切付旧跡
  ○ 御殿山
  ○ 野口雨情碑
  ○ 中田喜直歌碑
  ○ 井の頭弁財天 別頁


○井の頭恩賜公園 HP 武蔵野市御殿山一丁目、吉祥寺南町一丁目、三鷹市井の頭三・四・五丁目、下連雀一丁目、牟礼四丁目

 井の頭恩賜公園は、大正2(1913)年に皇室から東京市に下賜され、大正6(1917)年に一般公開されました。

    

  

井の頭池>

 井の頭池は、神田上水の水源です。池東端には神田上水取入口の石門が残ります。
 西端の石井筒は「お茶の水」と呼ばれ、家康がこの水を江戸城のお茶の水に用いるよう命じたといういわれがあります。
 三代将軍家光もこの池の水を好み、近くの辛夷の樹に「井之頭」と彫ったため、これが池の名となったとも伝えられます。
 「七井の池」と呼ばれたほど豊富だった湧水は昭和の中頃に枯れ、現在では深井戸の水を給水して景観を保っています。

    

神田川源流> 三鷹市井の頭3-34-1

 井の頭池の水は、ひょうたん橋を通りひょうたん池に至ります。
 ひょうたん池の水は、水門橋を通って神田川となります。

     

 「ここが神田川の源流です
  神田川は善福寺川、妙正寺川と
  合流して隅田川に注いでいます」

    

 水門橋

    

(標石)「一級河川 神田川」 三鷹市井の頭3-35-1

 神田川右岸の標石「一級河川 神田川」です。

  

お茶の水> 三鷹市井の頭4-1

 お茶の水の湧水は、お茶之水橋をくぐり、お茶の水池へ、弁天池、ボート池、ひょうたん池を経て神田川となります。

     

(説明板)
「お茶の水
 井の頭池は豊富な湧き水に恵まれ、かっては三宝寺池、善福寺池とともに「武蔵野三大湧水池」と呼ばれていました。
 徳川家康がこの池の湧水を関東随一の名水とほめてお茶をいれたという伝説から「お茶の水」という名が付いたともいわれています。
 現在では湧水減少のため、地下水をポンプでくみあげています。」

  

<徳川三代将軍 御切付旧跡> 三鷹市文化財 三鷹市井の頭4-1

 この碑は「深川水船組合」が明治26(1893)年に建立しています(水船については、こちらで記載)。
 鷹狩にきた三代将軍家光が池の名を尋ねると土地の者は「なない」(七井)と答えました。
 家光は「名無い」と聞き、「井の頭」と名付け近くのコブシの木に「井の頭」と刻みました。

(碑文)
 「大猷院家光公様御手づから井之頭と御彫あそばされたる古むしの木是なり
  御切付の文字は今に宝物として内陣に秘蔵す
   正三位勲一等子爵 鳥尾小弥太敬書」
 「深川水舩組」

    

御殿山 武蔵野市御殿山1-18

 御殿山は、三代将軍徳川家光が鷹狩の際に休憩する「御殿」があったことに由来します。

     

(説明板)
「井の頭恩賜公園 御殿山遺跡
 本遺跡は、一九六二年九月 武蔵野市が市史編纂事業の一環として発掘したときに発見されたものである。
 直径五米の竪穴住居跡等があって多くの遺物も発見された。
 なお、この付近に遺跡の存在が推定されるから、この地域には今から約三、四千年以前の集落 があったことが判明した。
  一九六四年四月、武蔵野市 建立」

  

(説明板)
「東京都指定史跡 井の頭池遺跡群
  所在地 武蔵野市御殿山一
      吉祥寺南町一
      三鷹市井の頭三・四
      井の頭恩賜公園内
  指定 昭和五四年三月三一日
 井の頭遺跡群は、井の頭池周辺の武蔵野市、三鷹市にまたがる大規模な遺跡群です。明治二〇年(一八八七)には学会に紹介された著名な遺跡です。井の頭恩賜公園のうち、池周辺は「井の頭池(神田上水水源地 )」として旧跡指定されており、外周の高台から斜面にかけての約五・五万uが史跡に指定されています。
 昭和三七・三八年に武蔵野市史編纂事業などにより発掘調査され、縄文時代中期から後期の竪穴式住居跡三軒、敷石住居跡一軒などが発見されています。遺跡周辺は宅地化が進み、史跡内は公園のため開発事業がないことから、全体像は良くわかっていません。井の頭遺跡群全体では縄文時代 の住居跡六〇軒以上や旧石器時代の遺物などが発見されています。また、中世段階の遺構や遺物も検出されています。武蔵野台地に見られる湧水池周辺の旧石器・縄文時代の代表的な遺跡といえます。
  平成二二年三月 建設  東京都教育委員会」

  


野口雨情碑 三鷹市井の頭4-1

 野口雨情は、1924年から約20年間、井の頭恩賜公園に近い武蔵野村吉祥寺に居を構えて創作活動を行いました。
 この碑は1952年に東京雨情会が建立したもので、雨情歌詞の「井の頭音頭」の一節が紹介されています。

(碑文)
「鳴いて さわいて 日の暮れ頃は 葦に行々子 はなりゃせぬ 雨情」

(碑文)
「野口雨情氏は明治大正昭和にわたり民謡童謡の世界に偉大な足跡を残した詩人で深く自然を愛し當時まだ武蔵野そのままの吉祥寺に童心居を建て數多くの名作を生んだ
民謡は土の自然詩であるこれが氏の信條であり全作品に漲る特色であった この地井之頭は氏が朝夕散策愛でて措かなかった處である。」

(碑陰)
「昭和二十七年十一月二十七日
  東京 雨情會建之」

     

(説明板)
「野口雨情碑
 「七つの子」「赤い靴」「雨降りお月さん」などの童謡で名高い詩人野口雨情は、一九二四年から約二十年間、井の頭恩賜公園に近い武蔵野村吉祥寺に居を構えて創作活動を行いました。
 この碑は一九五二年に東京雨情会が建立したもので、雨情歌詞の「井の頭音頭」の一節が紹介されています。」

  

中田喜直歌碑「ちいさい秋みつけた」 三鷹市井の頭4-1

 中田喜直(1923〜2000年)は、昭和20年代前半に三鷹市に居を構え、「夏の思い出」や「雪の降るまちを」などを作曲しました。
 なかでも、井の頭恩賜公園を散策していたときに生まれたのが「ちいさい秋みつけた」です。
 平成25(2013)年に中田喜直の生誕90周年を迎えるにあたり、歌碑「ちいさい秋みつけた」が11月16日に建立されました。
 この歌碑には、氏の直筆譜が刻まれています。

    

(碑文)
「中田喜直 生誕90周年記念
中田喜直は、「めだかの学校」「夏の思い出」など、今日まで歌い継がれている数々の名曲を残した日本を代表する作曲家です。昭和20年代前半に三鷹市に居を構え、四季の美しい武蔵野の自然を愛し、都立井の頭恩賜公園を散策していた時に生まれたのが「ちいさい秋みつけた」のメロディーです。創作活動の際にはアップライトピアノを使用し、日本人の体形にあったピアノの必要性を訴え、その製作に尽力したとのことです。この中田喜直の直筆譜が刻まれている「ちいさい秋みつけた」の歌碑は、中田喜直生誕90周年を迎えるにあたり、氏の業績を讃えて記念するとともに、広く後世に伝えていきたいという願いを込めて、一般の皆様からのご寄附も募り、三鷹市が建立したものです。」

  


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